[2009.06.12 第764号] [人と社会]
昨年 ‘ろうそくの灯現場’でデモ隊と機動警察として出会い、愛を培った二人の男女のラブストーリー
□ イム・インテク
世の中に隠さなければならない愛は多くない.
非人間的行為でもなく, 愛である以上、切なく隠すこともあまりない.
26歳女性が、23歳男性と愛しあっている.
しかし、彼らは記者に、顔はもちろん名前も隠してくれと言う.
女性はインタビューを終えた翌日の明け方、電子メールを送ってきた.
“(インタビュー内容が) デモ隊側にとっては‘警察に肩入れをする’になってしまい,
警察側にとっては‘デモ隊に肩入れをする’になってしまうので、いっそのこと静かにしている方が良いとも考えました. この話が記事になって公開された時,
その時に対する恐れで、夜の睡眠を邪魔されるようです.”
≫ チョン・スヨン(26・仮名)さんと ユ・ミヌ(23・仮名)さんは、昨年、ろうそくの灯政局時に始まった‘恋人’だ.
ミヌさんは市民を統制する機動警察隊員であったし, スヨンさんはろうそくの灯を持って政府を批判した市民であったから,
出逢い自体が‘ストッキング(註:原文通り)’だ.
考えが似通っていく.
ミヌさんは政府と強硬鎮圧一色の公権力を批判し, スヨンさんは自分の意志とは関係なくろうそくの灯現場で非難され苦労する戦闘・機動警察をかばう.

写真<ハンギョレ21> リュ・ウジョン記者
偶然な機会に参加した‘猛烈ろうそくの灯’で
♀の物語:
昨年5月初め, チョン・スヨン(26・仮名)はある大学を卒業した就職準備生だった.
女子高生たちが触発したという‘ろうそくの灯’より自分の足元の火が大きかった.
ある日、友人が“ろうそくの灯集会に行ったら警察が強硬鎮圧をしたので, ハイヒールに ミニスカートの姿で一晩中追い廻されました”と伝えてきた.
関連記事をかき集めて見て, 5月24日に初めて光化門を訪れた.
“政府に本当に腹が立って, 毎日のように通って、朝に家に帰りました”というスヨンはまさにろうそくの灯群衆の一番前に立つ.
♂の物語:
昨年5月, ユ・ミヌ(23・仮名)は首警だった.2年前の9月に入隊していた.
軍人で言えば、隊長より上の兵長だ.
だが、尊大も不精も、その暇がなかった.
疲れて、疲れて、彼は夜が明けることだけを待った.
ろうそくの灯を掲げた市民たちが並んで、早朝の最終解散作戦が始まるとともに, 小隊別に戻ってやっと部隊に入っていき一息つく.
そして、すぐにまた現場投入だ.
別に決まった就寝時間はない. 一日に2〜3時間なんとか寝る.
♀の物語:
6月になるやいなや, 警察は通りに出てきた市民に放水を始めた.
巨大なデモ隊の列に立っていたスヨンも水でなぎ倒された.
夜を明かして、次の日の午後、また鍾路に出る.怒りを鎮めることができなかったのだ.
夜が深くなって, 警察の鎮圧の程度が強くなり、スヨンが居る群れが, 戦闘警察に囲まれた.
いよいよ連行されるかと思われた.
ところが, 妙なことが.
心臓は戦闘警察部隊を迎えて震え, 鼓動はその間ある機動警察官に向かって打たれた.
放水で薬を打たれたのか, そして話してしまった.
おじさん, 本当に良い人みたいですね.
♂の物語:
ミヌは中隊長に付いてまわる伝令だった.
あらゆる無線がみな聞こえる.
鎮圧も, デモも、順次広がっていく.
6月1日夜、“光化門から市庁広場までデモ隊を押し出しせ”という命令が下される.
1次鎮圧が始まる.
翌日の明け方に繰り越して、対立を繰り返す2次鎮圧が始まる.
デモ隊が散在する.
1m前まで包囲されたある女性, 格好が話にならない.
放水に対応してか, 帽子にライフベストまで着ている.
そちら側から突然、ユウガオのような笑顔を投げかけた.
この女性はどうしたのだろう.
ところが、なんと携帯電話の番号を交換している.
市民たちが“戦争の中に咲いた愛”だと、拍手して歓呼する.
この人たちの正体はなにか.
鎮圧作戦中に電話番号交換‘メール’
♀の物語:
ミヌが初めて送ってきた携帯電話メールメッセージは
“お疲れさまでした. 私たちも同じ心であると思っていただければ嬉しいです”であった.
以後、暇さえ出来ればメールをやりとりした.
デモの途中, 戦闘警察車両へ行って会うこともした.
20余日が過ぎて、女子は好きだと囁いて, その一週間後、男子は付き合おうと叫ぶ.
運命がどんなに偶然を仮装しても, 携帯電話所持が可能な‘伝令’でなかったとすれば恋人の縁は不可能だった.
会わなかったとすればこのような変化もなかったことだろう.
“ボーイフレンドを見守って, これは警察の問題ではなく、指揮部,
政府の問題だということが次第にわかりました. 戦わなければならない対象が違ったのですよ.”
♂の物語:
6月25日, ミヌは忘れることはありえない.
鎮圧作戦が失敗したのだ.
先頭中隊を支えていた2中隊と分離されて孤立する.
武装解除されて, 鎮圧服を脱がされ, ヘルメットは踏まれて壊された.
ある同僚は盾が口に当たって歯三本を失う.
ミヌも無線機を奪われて殴られた.
入隊後、初めて泣く.
“助けてくれ.” 本隊に帰ってきて, 一番先にスヨンにメールを送る.
翌日の明け方2時45分, “私が死ね声を聞くべきではないでしょう?”
三日後, 機動隊は鎮圧中にデモ隊とインターネット放送陣に向かって消火器を投げた.
そこにスヨンがいた.
心より謝罪した.
暴力の磁場は広くて広くて食い込んでいけば, 被害者も加害者も、結局、みな同じになってしまう.
彼らの物語:
ミヌがケガをした日、スヨンは“何故か家にいた”.
求職プレゼンテーションを準備しなければならなかったのだ.
翌日、走って行って泣いた.
バスの中にいる彼を訪ねたのだが, 市民が集まってきてバスを揺さぶった.
ミヌは除隊後にもしばらくは神経安定制を飲んだ.
だが、より良い安定制は別にある. 今月末、二人は知り合って1年になる.
ミヌは政治には特に関心がなかった.
李明博 大統領が第何代大統領なのかも知らなかった.
それで、スヨンと初めて話した時‘同じ心’と言われた時, 反感が大きかった.
まさに前に立ったという理由だけでビンを投げたし、両親までが文句を言うのを受け入れるのが容易ではなく, 処した状況によって判断が変わった.
彼は“悪口を一番多く喰らったのが昨年”という.
そのような彼らをバスに乗せて結集させる指揮部があるということだけは知っていた.
女友達でなかったとすれば, 彼の悪夢はもっと苛酷なことだったろう.
袋叩きされた次の月初め, 部隊を出てスヨンと手をつないで生まれて初めて‘ろうそくの灯’を掲げた.
さて、自分の手の上に灯りをつけてみると,市民皆が自分の考えで歩いて出てくるのだという未知の事実が明るみになった.
彼は“意外に感じた”と話す. “指揮官に対して疑問を感じたら営倉送りですよ”と.
去る5月25日, 盧武鉉 前大統領 市民焼香所が整えられたソウル 徳寿宮 大韓門前にもスヨンとミヌはいた.
“恋愛を超えて、互いの意見と境遇を自分のこととして受け入れる速度が速かった”という彼ら.
ミヌはこれからは市民側を, スヨンは戦闘・機動警察を受け入れる.
警察はこの日、9中隊を大韓門一帯に配置した.
市庁へ向かう道の要所は当初遮断された.
この日、チュ・サンヨン ソウル地方警察庁長官は“屏風のように静かにするという方達もいる”と発言する.
ミヌは“弔問客だけなのに、武装戦闘警察に放水車まで待機させておいた事を見て驚いた”.
二人は大韓門に配置された部隊の後任たちにも会う.
“私たちも衝撃が大きいのに, 意志と関係なく市民を防がなければならないことが紛らわしくて気に障る”という言葉が打ち込まれる.
“市民たちの自発的参加であったことが意外に思った”
昨年8月6日, ブッシュ前米大統領が訪韓した日、大学生5人が鍾路の食堂に入っていくと、食堂出入口を1中隊が封鎖したことが思い出される.
彼らの手には小さな“ブッシュ反対”カードがあっただけだ.
その時も、今でも、どうしようもない.
市民焼香所を撤去したことが問題になると, チュ・サンヨン ソウル警察庁長官は“一部の機動警察が作戦地域を抜け出して失敗をしたようだ”と話した.
部隊の後任がミヌに電話をしてきた.
“やらせておいて何なんでしょうか, 長官というのは, 今になってこのように裏切ることができるなんて?”
ミヌが機動警察服務をした2年間, ますます幼稚になる鎮圧方式に指揮官の悪口を言ってみたが、どちらもこの政府がからむ.
スヨンは“ミヌが社会人になってみると、政府の誤ちがもっと大きいというのが見えながらも,
実際に通りに行くと、自分と境遇が同じだった彼らと対抗しなければならないから、まだ迷うでしょう”と話す.
ミヌとスヨン, 二人は会社に通う.
‘結婚’という単語が両者の首を差し出す.
二人はインタビュー後、手を繋いで, 戦闘警察車が遮る清渓広場側に歩いていった.
イム・インテク記者 imit@hani.co.kr
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