[2009.04.24 第757号]
ろうそくの灯市民の1年… トッポギを提供した‘ダインパパ’はろうそくの灯専従者に,
果川では水曜日ごとにろうそくの灯集会
□ チョン・ジョンヒ
2008年ろうそくの灯は小さなものでもたくさん集まれば世の中を燃やす程熱くなりえることを見せた象徴的事件だった.
大韓民国が民主共和国であることをよく知っている市民たちは民主的ではなく共和的でもない政府の米国産牛肉協議案に憤怒した.
彼らは火炎瓶の代わりにろうそくの灯を点け、闘争の代わりに<大韓民国憲法第1条>を叫んだ.
女子高生たちはややもすると序盤に気がそがれがちなろうそくの灯に活気を吹き込み,
アジュマたちは子供を乗せたベビーカーを全面に出してその集会が平和の饗宴であることを雄弁に語った.
‘馬草的発想’という一部の批判にも男性は予備軍服をユニホームとして着て出て、夜通し秩序維持任務をやり遂げた.
初めてろうそくの灯が燃え上がって 1年, 一年前に広場を熱い雰囲気にしたろうそくの灯市民は今なにをしているか?
また、日常へ戻った彼らの胸の片隅には心が1段階育っていた.
直接道に出て制度圏システムの誤作動に警告を出した‘集団の記憶’は、そのように, いつでも点火する準備ができた気持ちになっていた.

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最初の‘ろうそくの灯専従者’であるダインパパが、4月16日ソウル龍山惨事犠牲者たちが安置された順天郷大病院葬儀場に汎国民対策委関係者たちとろうそくの灯1周年記念方案を議論するために立ち寄った.
写真 <ハンギョレ21> ユン・ウンシク記者
去る4月16日、キム・ギョンミン(36)氏の一日は忙しかった.
午前には民主労総, 午後には龍山汎国民対策委を行き来して、5月2日に迫ったろうそくの灯集会1周年をどのように迎えるのか議論した.
彼は実名よりニックネーム‘ダインパパ’でより有名な人物だ.
昨年ろうそくの灯集会の時ごとにトラックを出してトッポギとラーメン等を集会参加者にただで分けて長女ダイン(7)が名前を世の中に知らせた.
会員200〜300人の市民団体のろうそくの灯専従者
彼がろうそくの灯に飛び込んだ契機は偶然だった.
7年余の間した宅配業をたたんでトラックを用意してトッポギとおでんなどを売る粉食屋台を始めたところだった.
そうこうしたあと、ろうそくの灯集会に参加した5月31日、景福宮の近くで放水を受けて寒さに震える彼らを見て‘後方支援’に廻ろうと決心した.
次に、告知宣伝から募金までやって、その金でろうそくの灯市民のお腹を満たした彼は昨年9月に思い切って専業した.
‘最も美しい国’というろうそくの灯市民団体を作って、国内唯一の‘ろうそくの灯専従者’になった.
その後、彼はろうそくの灯が点る現場ならばどこにでも走って行く.
昨年末の韓国放送の落下傘社長反対闘争はもちろん, 今年の初めの放送法改悪闘争時もソウル汝矣島集会場所でおかゆを炊き、言論労働者たちにただで分けた.
撤去民など6人が亡くなった龍山惨事が起きた後には、汎国民対策委側にコメとおかず,水などを定期的に供給している.
毎月200〜300名の会員が出す会費が財政的支柱だ.
彼にとって‘ろうそくの灯’は現在進行形だ.
ダインパパが全国区で走る間、会員たちは各地域の懸案に対応する活動を繰り広げている.
仁川側会員は、桂陽山ゴルフ場と京仁運河建設反対ろうそくの灯を持ち, 京幾廣州会員は水道民営化問題に対応するというように.
このように、大邱・光州・釜山・天安・束草などの地域でも、週1回小規模ろうそくの灯集会を開いている.
“日常生活のために現場に出てこられない方達を私が代理している”というダインパパは、“必らずしもオフライン形態の集会をしてろうそくの灯が維持されたというわけではなさそうだ”と話した.
彼は“また危機状況になれば、ろうそくの灯はいつでも出てくることができると考える”という.
‘82クックドット コム’ YTNにモチ配達
ろうそくの灯に身を投じたダインパパの場合はもちろん特異な事例だが,
まだろうそくの灯を消すことができなくて地域的に一貫した活動を繰り広げている所もある.
京畿 果川のろうそくの灯市民の集いがまさにその場合だ.
昨年5月初め、‘我家は狂牛病牛肉輸入に反対します’という横断幕を各家ごとに掲げて全国的な話題を呼び集めた底力がまだ維持されている.
果川中央公園には最近も毎週水曜日ならば、たとえ1・2名程度でも集まってろうそくの灯を点ける.
‘龍山惨事責任者を処罰しなさい’とか‘一斉考試に反対する’という内容のプラカードも共に登場する.
去る京畿道教育監選挙時には市民集い会員が運動員として走ってキム・サンゴン候補当選に大きな功績を建てることもした.
この集まりのカフェ運営者
キム・テジン(44)氏は“(キム・サンゴン当選者の)果川地域得票率が高かったのは、ろうそくの灯市民が個人的組織を稼動した点も作用した”としながら“会員たちの間でろうそくの灯集いに持続性を附与するために努力している”と話した.
果川ろうそくの灯市民集いは、雪が融ける5月には街頭映像文化祭を開く計画だ.
一斉考試に批判的なキム候補の当選で教育側問題は仕上げになったと見て, 龍山惨事あるいは‘チャン・ジャヨン
リスト’と関連した市民の不満をあらわす方案を検討している.
昨年、ろうそくの灯は過去の運動圏闘争とは違う姿をたくさん見せた.
内容的に政治権力の交替を夢見なかったし, 祝祭形式を借りて権力との直接的な衝突を避けた.
その象徴のひとつが、緊張した戦闘・機動警察前をのんびり行き来したベビーカー部隊だ.
広場のろうそくの灯がおさまった今、彼らは‘生活のろうそくの灯’を点している.
京畿 ブンダンに暮らすペンネーム‘ウンソクヒョンマム’は、去る3月31日実施された一斉考試時に小学校6学年の子供を学校に送れなかった.
昨年は末っ子をベビーカーに乗せて集会に行ったが、道路交通法違反嫌疑で警察調査まで受けた彼は“ろうそくの灯を持った人々は自分の生活と政治が密接に連結しているということを骨に凍みるほど感じた”と話した.
彼はろうそくの灯集会を経験した後、環境と食品の安全に対する意識が変わり、ファーストフードは全く食べず, 生協製品だけを使っている.
“ろうそくの灯は、ぼくの生活が変わる契機になった”というのが彼の説明だ.
‘ろうそくの灯 ベビーカーと共にするろうそくの灯家族’カフェ仲間であるチョン・ヘウォン氏も同じだ.
カフェ会員たちと共に韓牛農家を生かそうという次元で、無抗生剤国産牛肉共同購買にたつかと思えば,
遺伝子操作農作物に反対するという言葉が書かれた買い物かご運動も繰り広げた.
環境に害になる活性洗剤を使用しないために、無洗剤洗濯ボール普及にも関心を傾けるようになった.
チョン氏は“カフェ会員たちの中には生協に振り返った方達が多い”としながら“ろうそくの灯(関連カフェ)側からはこのような方法の変化が多かった”と話した.
ろうそくの灯集会歪曲報道を恣行した某言論メディア不買運動にたったが、脅迫文まで受けた主婦サイト‘82クックドットコム’(82cook.com)
一部会員たちの胸の中でもろうそくの灯はまだ消えなかった.
25年次主婦は‘解いて’という“(MB(註:李明博イ・ミョンバク)政府を批判する)生活広告を<ハンギョレ>に既に六回も出して、近い将来<ハンギョレ><京郷新聞>にまた出します”と話した.
彼らの中では、龍山集会に参加したり落下傘社長反対闘争を繰り広げたYTN労組に餅を持って訪ねた者もある.
このカフェ会員‘スプーン’は、“ろうそくの灯は絶対消えないと思う”ながらも“これまでは小康状態だったのが、なにかまた始めなければならないかもしれない”と話した.

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昨年6月、ろうそくの灯集会現場をベビーカー部隊が縫っている(左側).
ソウル チュンラン警察署 防犯巡察隊 所属
イ・ギルジュン氏が昨年7月27日、良心にともなうろうそくの灯集会鎮圧命令拒否記者会見をした後、戦闘服を脱いでいる(中).
ろうそくの灯現場の火種を燃やした主人公は、女子中・高生たちだ(右側).
写真左側から<ハンギョレ21> パク・スンファ記者・ハンギョレ パク・ジョンシク記者・
<ハンギョレ21> パク・スンファ記者
“ともかく修学能力(試験)だけ終わることだけを”
昨年5月初め、ろうそくの灯の性格のはっきりと位置を占めた主役は、まさに女子中・高生たちだった.
彼女たちは‘眠るのはちょっとに, ご飯も少なく’という鋭いスローガンで入試にやつれて健康の危険に瀕した自分たちの境遇を訴えた.
だが、広場のろうそくの灯が弱まりながら、彼女たちはまた学校の垣根に閉じ込められてしまった.
世の中の何よりも強く彼女たちの生を規定している入試体制は全く揺ぐことなく、彼女たちを追い込んでいる.
忠南ホンソンのある高等学校3学年であるIさんは、昨年参加したろうそくの灯集会の強烈な記憶がまだ脳裏に明確だが、からだは強制夜間自律学習に縛られている.
2学年だった当時、彼女は覆蓋駐車場で開かれた集会に家族の反対をかえりみずに毎日参加した.
“国民を欺瞞する政府の策略が暴かれるようになって、大韓民国が生きているということを感じた”というIさんは以後徐々にろうそくの灯の熱気が冷めて米国産牛肉がなんのこともなかったように流通される現実を見ながら挫折もした.
それより苦しいのは、何らの変化も無しで学校に閉じ込められていなければならない自身の境遇だった.
“学校ぐらい私たちを抑圧するところはないと思います”という彼女は“とにかく、修学能力が終わることだけを願っています”とした.
それでも希望はある.
中3時にろうそくの灯現場を経験して、現在京畿ブンダンのある高等学校1学年として通っているチェ某さんは“当時ぼくの意思を表現できるというのが、私の発展だと感じられた”という.
チェさんは“後で機会があったら、また行くつもりです”と話した.
オルタナティブ学校であるイウ学校のノ・ギルサン教師は“ろうそくの灯集会を通して祭りの雰囲気のデモ文化もあるというのが子供たちに刻印されたようだ”としながら“また、社会的な苛立ちなどがあれば、彼らがもう一つの歴史を作りだしてほしい”と診断した.
しかし、ろうそくの灯は既に消えたし失敗したという診断も出てくる.
昨年、ろうそくの灯関連カフェ管理人を送ったことがある40代キム某氏は“悲観的”という.
ろうそくの灯は目に見える成果を勝ち取ることができなかったし, その理由は組織的に勢力化できないためだということだ.
こういう現状は、政府が検警と放送通信委員会などの制度圏組織を通して繰り広げている弾圧が執拗なことと克明に繋がるというのがキム氏の考えだ.
彼は“狂牛病問題も欺瞞的に解決され、言論弾圧や非正規職問題等でわかるように、人権・福祉は続いて後退しているのではないか”としながら“最後のある部分が弱かった”と評価した.
彼はろうそくの灯カフェを‘ワッチング’だけしている.
‘消えた火でもまた燃える’というようにろうそくの灯を消そうという政府の努力は続いている.
自身の良心に反するとしてろうそくの灯集会鎮圧命令を拒否するという良心宣言をしたイ・ギルジュン氏は、去る4月9日、最高裁で懲役2年の刑が確定した.
ベク・ソンギュン
ミチンソドットネット代表とパク・ウォンソク狂牛病国民対策会議共同状況室長等、関係者5人は昨年11月6日逮捕されたが、去る4月17日保釈決定で釈放された.
彼らの1審公開裁判はまだ進行中だ.
シン・ヨンチョル最高裁判事のろうそくの灯裁判介入の事実まで表れながら裁判は速度を失った.
ろうそくの灯集会と関連して非拘束起訴された人は計45人, 略式起訴になった者は589人に達することと民主社会のための弁護士の集いは把握している.
表面の火は消したが、内部の火は消せなかった.
昨年の崇礼門火災時の消防本部の放水でも表面の火を消すには成功したが、内側の火は消せなかった.
ろうそくの灯に対する政府の対応も似た様相だ.
崇礼門は大通りに一人だったが、ろうそくの灯は全国的に数十万の胸に種火が残っている.
ろうそくの灯は当初,
金持ち高くて安全な韓牛を買って食べて、貧しい者は結局値段が安い代りに狂牛病の危険がある米国産牛肉を買って食べるほかないようにした政府の階層差別的政策から出発した.
“あれほど大衆が広範囲な平等を要求する事件がおきるならば, またろうそくの灯は起きる”(イ・テックァン慶煕大
英米文化学教授)という診断は今の政府にとってかなり不安に迫るだろう.
チョン・ジョンヒ記者 symbio@hani.co.kr
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