[2009.04.03 第754号] [レッド企画]
研究所を建てて、フェスティバルを開いて、観光客が集まって…
‘韓流料理’として新たに出るトッポギ
□ キム・ミヨン
トッポギ サラダ, 味噌 クリームソース トッポギ, トッポギバーベキュー串, トッポギチーズフォンデュ….
王様が食べた宮中料理から代表的な路上料理に‘転落’したトッポギが‘名誉回復’にたった.
キムチ・ビビンパ・焼き肉に続き、‘料理韓流’を継続するメニューとして注目されながら、新しい姿で変革している.
コチュジャン薬味で作った正統トッポギと一緒にクリームソース, チーズ, オリーブ オイルなどを混ぜた新メニューで世界の食卓攻略にたったのだ.
子供からおとなまで‘世代’を跨いだトッポギは, 東洋人と西洋人を分ける必要がなく、‘世界’を仰ぐ料理にまで変わって行っているところだ.
栄養価値がなくて非衛生的な‘路上不良食品’という汚名も脱いでいる.
トッポギ産業がフランチャイズ化しながら、清潔な室内で高級な材料を利用して作ったウェルビーン(註:well being)料理として新たに出ている.
‘豊かな’料理としてトッポギを研究するという研究所が作られ, 政府もコメ消費促進のためにトッポギ産業を支援するという.

≫ トッポギ屋に火がつきました!
京畿 龍仁市 キフン区 ポジョン洞には、聞いただけでも笑いが出てくる‘トッポギ研究所’がある.
去る3月11日に開所式をしたそこは韓国コメ加工食品協会が8億ウォンを投入して設立した研究開発センターだ. 冗談のように見えるが、そこですることは真剣だ.
研究員は計5人.
トッポギとソースを研究する彼らは‘トッポギ世界化’のための礎石を置くことになる.
辛味の標準化作業, トッポギ料理開発, 商品価値を押し上げるマーケティング研究などが彼らがすることだ.
コメ研究だけを20年を越えてしてきたというイ・サンヒョ所長は“‘洗われて出てきたコメ’などの多様なコメ製品を作りだして注目を受けたが、トッポギ研究所ほど反応が熱いことはなかった”としながら世間の関心を受けて笑った.
彼は“それほどトッポギの世界化に関心が多い”とし、“トッポギはトッポギとソース,
いくつかの副材料だけを入れるけれど、研究開発を通し、イタリアのスパゲティ,
タイ料理のように世界人の口に合う料理として作ることができるメニュー”と話した.
50年代以後にコチュジャンを入れ始め
主食ではない間食や軽食程度として見なされてきたトッポギに対する評価がこのように変わったのにはトッポギの歴史も一役買っていた.
イ・サンヒョ所長は“トッポギが宮中料理から路上料理へ転落した過程や、地域によって異なる味などがおもしろい”としながら“物語がある料理であるため、多様な付加価値事業も連係できる”と話した.
いまは誰でも容易に買って食べているトッポギは元来王族が食べた料理だ.
朝鮮末期である1800年代に書かれた<シウィ全書>という調理書を見ると、“他の蒸しものと共に白餅を薄く切ったものを少しの間炒める”と書いてある.
唐辛子がなかった時期に醤油で味付けした宮中トッポギは、ナムル, 牛肉, 胡麻などを加えて炒めて作った.
肉と野菜を加えて栄養的に完壁な料理だ.
醤油トッポギをコチュジャントッポギにして食べ始めた時点は正確な記録がなくてわからない.
ただし、宮中料理が大衆化して、辛い料理が一般化になり始めた1950年代以後という説が有力だ.
ジョーズ, おふくろ村, ヤクザ…
誰でもやさしくさせることができる料理であるのだが、トッポギは町内ごとに地域ごとに特色ある料理だと噂されている.
ソウル地域だけ見ても、アンアム洞‘ジョーズトッポギ’, ミョンジ大前‘おふくろ村トッポギ’, 弘益大前‘ヤクザトッポギ’, 狎鴎亭‘レッドペパー’,
ヒョジャ洞 トンイン市場‘油トッポギ’など、有名トッポギ屋が多い.
国内唯一のトッポギ商店街であるソウルシンダン洞トッポギタウンも省けない.
即席トッポギで有名なそこは“トッポギの味の秘訣は嫁も知らない”というコチュジャン広告をしたマ・ボクリムおばあさんが働いた所でもある.
チュンジャンとコチュジャンを混ぜたソースに、かまぼこ, ラーメン, ギョウザなどを入れて即席で作ってくれるの炊いてくれるのがシンダン洞の味だ.
1970年代に造成されたシンダン洞トッポギタウンは、時代によって味も, 商店街の雰囲気も大きく変わった.
“久しぶりに会った彼女、トッポギをすごく好きで探して行った所はシンダン洞トッポギ屋”という歌が作られたように、料理と共に文化を売ったそこでは以前のように浪漫がない.
DJが音楽を選んでくれるミュージックボックスがあった時期は記憶中に埋められて, いまは中型車と外国人観光客団体バスが出入りする.
1984年からトッポギ商売を始めたという‘ウリチブ’社長は、“トッポギを主に売っていた1995年から商店街らがタクバル(註:鶏の足先)などのメニューを追加して売って、いまは夕方に酒も出している”と話した.

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トッポギ研究所でキル・ソンヒ研究員がコチュジャンと粉トウガラシなどを利用してトッポギ ソースを配合している.
写真 <ハンギョレ21> キム・ジョンヒョ記者
地域を見ると、もっとおもしろい.
釜山は‘南天ハルメトッポギ’, 大邱は‘新川トッポギ’などが有名だ.
南天ハルメは辛味と甘みが強い.
釜山でトッポギを食べた者がソウルで食べると“味気ない”という評価が出てくる.
‘新川トッポギ’は別名‘麻薬トッポギ’と呼ばれる.
辛味が強く、主に桃味のクルピス(註:原文通り)とセットで食べる. あたかもピザとコーラのセットのように見える.
湖南には有名なトッポギ屋がない.
韓国コメ加工食品協会ジョ・サンヒョン
課長はその理由を“全羅道は自然材料を利用した食文化が発達したので、トッポギのような粉物類は必要なかったのではないだろうか”と話した.
辛味の深さだけでも色々なうまみを出すトッポギは多様な料理として変化できるのが魅力だ.
どんな材料を入れるかによって千ウォン札何枚かの路上料理から何万ウォンのホテル料理にも変わることができる.
ソウル明洞と鍾路, 梨泰院などではトッポギの味に群がる韓国、台湾と中国, 日本の人々を容易に見られる.
鍾路でトッポギ露天商を10年越えてやっているというあるおばさんは“子供たちと外国人の口に合せようと、以前のようには辛くしない”と話した.
釜山も事情は違わない.
2月に終映したSBS<スターの恋人>で、チェ・ジウがトッポギを食べたあるトッポギ屋が日本人観光客で門前市をなしている.
トッポギ研究所 イ・サンヒョ
所長は“辛味に慣れた東洋人とは違い、西洋人は辛味とトッポギのコシが強い食感を好まない”としながら“トッポギとソースを世界人の口に合うように研究し、各国に接続させて現地化する必要がある”と話した.
路上料理の高級化を宣言したトッポギフランチャイズ企業もメニュー開発と包装用紙開発に出た.
クリームソースやオリーブ オイル, 香辛料などを利用したトッポギメニューを既にお目見えしている.
BBQ‘オリーブトッポギ’チェーン店を運営するジェナシスのキム・ユリ氏は“宮中トッポギ, 辛トッポギ,
ホワイトトッポギなどを多様に販売しながらスンデ(註:韓国式腸詰)などと合うサイドメニューも共に売っている”と話した.
料理包装時、ビニール袋の代わりに高級包装紙を使用することもする.
“ここがチェ・ジウがきた‘トッポギ’屋”
トッポギの世界化のために積極的な広報にも進出している.
トッポギ研究所はトッポギの英語名を‘トポキ’(topokki)として, トッポギの材料を形状化したキャラクターでアニメーションなどを作る計画だ.
すでに、米国〈ABC放送〉から取材要請を, オランダロッテルダムでは料理祝祭に参加してくれという要請も受けた.
来年には路上に近いが西洋人の口を試してみることができるロシア沿海州にトッポギ ショップを開く計画だ.
政府のコメ消費促進計画もトッポギブームの一助となっている.
農林水産食品部は、昨年11月‘コメ加工食品活性化方案’を発表した.
米輸入までなされながら供給量は増えたのだが、消費量は毎年減っている状況を打開するための方針だ.
政府がトッポギ, 酒類などのコメ加工食品産業の市場拡大のために積極的に支援すると出ながらトッポギ産業は急成長中だ.
トッポギ完成品価格を基準に、2009年トッポギ市場規模は約9千億ウォンに達する.
政府はトッポギブームを持続的に造成し、2013年まで市場規模を1兆6千億ウォンまで伸張させる計画だ.
トッポギ‘商売’を付加価値が大きい‘産業’として判断した結果だ.
韓国コメ加工食品協会は、政府と地方自治体と共にトッポギ産業育成に力を載せる予定だ.
ジョ・サンヒョン課長は“トッポギ通り造成を通して露天商トッポギからフランチャイズトッポギまで、国内外の人々が誰でも楽しむことができるトッポギとして料理韓流を継続する”と話した.
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