2008年10月ハンギョレ21 733号

21世紀の貧民窟, 高試院 コリア 
放火・殺人事件の悲劇的ステージ, 受給権者・独居老人に移住労働者まで孤単な生活を送る所

[2008.10.31 第733号]

21世紀の貧民窟, 高試院 コリア 
放火・殺人事件の悲劇的ステージ, 受給権者・独居老人に移住労働者まで孤単な生活を送る所


□ シン・ユン・ドンウク

“ついにこんなにぞっとすることが….”
40代 在中同胞 キム・スンジュ(仮名)氏は、10月20日にソウル ノンヒョン洞 高試院(註:簡易宿泊施設.当初は受験生の自習のために使われた)で行われた放火・殺人事件が本当に他人事ではないようだ.
惨劇の被害者が在中同胞なのだからだけではない.
危うく自分も悲惨な被害者になるところだったという思いにぞっとする.
高試院で韓国生活を始めた彼と夫人にも火魔が襲った記憶が息をふきかえす.
韓国人が放火して在中同胞が被害を受けた点まで似ている.
 


≫ 底所得層が集まって住むソウル トンジャ洞のある高試院.
再開発のために、暮らしていた彼らは高試院を出なければならない状態だ.
だが、ここから出ても行く所が無い者が多い.<ハンギョレ21> キム・ジョンホ記者


3ケ月前, キム氏の部屋も放火で燃え

去る7月30日, ソウル ドソン洞 H高試院は炎に包まれた.
誰かが煙の匂い嗅いで知らせていなかったらむごたらしい事態になっていた可能性もある.
ドソン洞より6日先立って起きた京畿 ヨンイン高試院 放火(推定)事件で40分で7人が命を失ったように.
当時、H高試院にいたキム氏の夫人は叫び声に驚いて飛び出して被害から逃れた.
火災が発生した午後5時30分頃, 幸い大部分出勤した後の時間で高試院に人が多くなかった.
火を避けて2階から飛び降りた人など2人だけが入院して治療を受けた.
だが、急いで帰ってきて燃えた部屋を見たキム氏の胸も惨憺たるものになってしまった.
衣類などはみな燃えてしまって, 精神的被害も受けた.
やはり放火だった.
ノンヒョン洞 高試院のように高試院に住んでいた人がやったことだった.
50代ヤン某氏は、この日部屋代を督促する高試院の主人と言い争い、怒りにまかせてガソリンを撒いて火を付けた.
ここでも30余名の被害者中の7名が在中同胞だった.
ノンヒョン洞で亡くなった者の大部分も, ヨンインで亡くなった7人中の1人も在中同胞だ.
ヨンインでは在中同胞 イ・チョルス(44)氏が当時の火災で亡くなり, イ氏の弟 イ・チョルギュン(42)氏も負傷した.
ドソン洞 高試院は保証金無しで、月あたり部屋代が14万〜20万ウォン.
低廉な宿舎を探した在中同胞が犠牲者になったのである.
しかし、同胞たちは高試院の主人には火災の責任が無いという理由で補償を受けられなかった.
キム氏と相談した ソン・ドンジュ 外国人勤労者センター相談チーム長は、“しかも、高試院に住んでい韓国人が在中同胞を抜いて被害者会を作って悲しみがもっと深くなった”と伝えた.
高試院 院長は自分が運営する近隣の高試院に1ケ月‘無料’で貸すと、気前よく物を施したが, キム氏は高試院には少しの間も居たくなかった.
1ケ月分の高試院費20万ウォンだけを受けとって急いで他の部屋を探した.
思い切って他の町に引越して一部屋に暮らしているいまはそれでも気が楽だ.


高試院は既に逆説的な名前になった.高試院には高試生(註:受験生)以外はみなある?!

韓国高試院協会は全国に6200余りの高試院があると推算する.
ソウル市 消防災難本部は7月31日〜9月25日の調査を通し、ソウルだけで3451の高試院に10万8428人が住んでいると把握した.
調査を見ると、会社員(24.1%), 無職(20.5%), 単純労務職(12.7%)などの宿泊型職群(57.3%)が、学生(23.3%)と就職準備生(19.5%)を合わせた学習型職群(42.7%)より多かった.
去る7〜8月、同様の調査を繰り広げた 京畿道地域では宿泊型職群が73%に達した.
高試院が貧しい人々が居住する空間だという事実が統計で証明されたのである.
しかし、相次いだ火災で見るように安全な空間ではない.
最大限多くの部屋を作るために空間をきめこまかく分けて、人は多くても通路は狭い.
ソウル市消防災難本部の調査を見ると, ソウルの3451高試院中337箇所で消防施設問題などが指摘された.
高試院の仕切りが大部分石膏ボード(65.8%)材質で火災危険が高かったし, 廊下の幅が1m未満である所が75.9%を占めた.
大部分が廊下の両側のドアを開けると人が通るのが難しい程だ.
要するに、迷路型構造で、蜂の巣だ.
しかも、低廉な高試院は古い建物に入っていて、安全の‘富益富 貧益貧’は進む.
だが、高試院は宿泊施設ではなく、消防基準もお粗末だ.
それで一年に500〜600個ずつ雨後の筍のように生まれる.
事故が起きる度に規制が話題になるが、時間が過ぎるとうやむやになる悪循環を繰り返してきた.


同じ国出身者同士で暮らす所も

高試院は21世紀の貧民窟だ.
一部‘ラグジュアリーな’高試院もあるが、日雇い労働者, 貧しい学生, 地方出身の若者, 独居老人など、保証金を出せる状態ではない人々が、窓もない一坪程度の高試院‘長屋’にからだを横たえる.
都心の裏面, 建物の内側に隠された長屋だと言えるだろう.
最近は新しい人々も入ってくる.韓国で働く移住労働者, 海外同胞.
彼らの‘コリアンドリーム’は高試院で育つ.

≫ 京幾道安山駅前 高試院 密集地域.
<ハンギョレ21> リュ・ウジョン記者


京幾安山市 ウォンゴク洞‘君子市場前バス停留場’の両側100m中に‘漢陽’‘ワールド’など、6高試院が建っている.
2006年末現在、ウォンゴク洞居住者3万873人中に外国人が9672人で30%を超え, 安山は‘移住民のソウル’と呼ばれる.
10月23日夕方7時に白いジャンパーを着た青年が近くの高試院を見回していた.
T高試院から出てきた青年は“中国人”だと言った.
安山に働き口を移した彼は、値段が安い宿舎を探していた.
このようにウォンゴク洞の高試院には在中同胞と移住労働者が入り乱れて生きている.

T高試院は‘多国籍高試院’だ.
ここに住む在中同胞 イ・ミョンジュン(35・仮名)氏は“12部屋に在中同胞, 漢族, 在ロシア同胞が暮らしている”と話した.
イ氏は“月家賃20万ウォン万だけ出せば、水道税, 電気税などを別に払わなくてもいいので楽だ”という.
今後6ケ月で“もっと苦労したら” 戻る考えである彼にとって高試院は‘耐えるべき’空間だ.
しかし、彼も“夏にエアコンも無しで扇風機だけをつけると暑い空気が部屋をぐるぐる回る”と吐露した.
近隣でトイレと厨房が付いた‘ワンルーム’で暮らそうとすると、保証金100万ウォン以上に月家賃30万ウォン以上を出さなければならない.
T高試院の向い側のH高試院は‘ロシア高試院’だ.
高試院入口の案内版には韓国語の代りにロシア語のメモが書かれている.
高試院に入っていく40代の在ロシア同胞男性 ジョン・ソンジュ(仮名)氏に尋ねたら、“束草から出発するロシア行船便の時間”と言う.
このように、ウォンゴク洞の高試院入口にはロシア語のチラシが置かれていて, 廊下には中国語の警告文が掲げられている.
ジョン氏は“ここは皆ロシア(同胞)の人々”と伝えた.
このように、同じ国出身の移住労働者たちが寄宿舎のように暮らしている高試院もある.
集まって、孤独をなだめ、働き口情報も分かちあうのだ.
しかし、多様な国籍の人が入り乱れて暮らすが、文化的違いで葛藤も生じる.
移住労働者団体関係者は“韓国と雇用許可制了解覚書(MOU)を締結した国ではないロシア人は3ケ月の旅行ビザで入ってきて働く場合が少なくない”としながら、“だから、1年契約の保証金を出さなければならない借家よりは高試院を好む”と伝えた.
それで、ロシア人たちが集まって暮らす高試院がある.

イム・ドングン 安山外国人勤労者支援センター相談チーム長は、“昨年調べたら、ウォンゴク洞だけで高試院が25を超えた”としながら、“2年の間にいきなり増えた”と伝えた.
不安定な働き口にしたがって移らなければならず, いつでもかばんを持って出て行かなければならない移住労働者にとって高試院は有用だ.
しかも、一日に12時間ずつ工場で働いて、部屋では寝るだけの彼らが好む‘部屋’だ.
それで、契約書などに慣れない新参者たちの初めての住居として使われる.


ソウル駅 高試院はホームレスとの境界線


ソウル駅の向い側のトンジャ洞の高試院はホームレスの境界線に置かれた人々の住みかだ.
10月22日、長屋村運動団体である‘トンジャ洞広間’では、4名の男性がくやしい心情をどうしようもなかった.
60代のカン氏は“ここでご飯を食べ、洗濯して、眠って、投票して、住民税まで出したのに、何故住民ではないのだ”と、くやしさを吐露した.
50代のチョン氏は“どうせなら、私まで撤去しろとしがみついてやる”と、歯をくいしばった.
彼らが暮らすI高試院は荒涼な撤去を迫られている.
都市環境整備事業によって、ドンジャ4区域の住民たちは大部分が去ったが, 彼らは離れられなかった.
彼らは、“高試院院長と再開発組合が補償問題で葛藤する間に、わたしたちは人質にとられた”と話した.
このように、両側に加わって待ち疲れ、高試院居住者は30余名から8〜9人に減った.
院長は以前、組合と補償金に合意して10月末までに建物を空けることにしていた.
だが、組合は“高試院が住宅ではないため、住居移転費を一部しか払うことができない”と主張, 彼らは“法的報償金850万ウォンをくれ”と対抗している.
彼らにとってトンジャ洞は最後の住居地だった.
I高試院に入ってくる前、60代のカン氏と30代のパク氏はホームレスを経験した.
パク氏は、“ソウル駅で暮らすために荷物を預けるロッカーを2つずつ使ったら、一日に2千ウォンずつで1ケ月に6万ウォンかかり、いっそのこと13万ウォンの高試院の方がよい”と元に戻った.
カン氏も、はじめはホームレス支援団体の後援で高試院に入ってきた.
このように、I高試院居住者の80%以上が国民基礎生活受給権者であった.
38万余ウォンの政府補助金中から15万ウォンの月家賃を引くとカン氏は“高試院の部屋でうどんだけ食べて暮らした”と話した.
彼は“高試院で暮らしていたが出て行った人に会ったのだが, 一日8千ウォンずつ旅館代を払ってご飯を買って食べるから生きていくことができないらしい”としながら“住居移転費をきちんともらってこそ部屋を得られる”と訴えた.
しかも、心筋梗塞で苦労する50代のチョン氏のように病気で労働能力を失った人も多かった.
去る8月末, トンジャ4区域のI高試院そばの石垣の陰に男が座っていた.
ユン・ソクミン(38・仮名)氏は“外は初夏だけど部屋の中は真夏”と話した.
彼が住むI高試院の中はあまりにも暑くて外に出てきたのである.
彼は“夜も、扇風機をつけると暑い風が出る”としながら“絶えられなくて明け方には思い切ってダンボールを探して道で寝る”と話した.
黒い顔の彼は、結核に肝硬化が重なったという.
彼は“龍山の病院に通っていたのだが、この地区を離れたら、保健所に診断書をまた提出して厳しい審査を受けなければならない”と近くに住まなければならない理由を話した.
だが、“2006年8月8日”, トンジャ洞にきた日をはっきりと記憶していた彼も思うような補償を受けられないまま高試院を離れた.
15万ウォン以上である近隣の安宿も高試院よりも高くて行かれない彼だった.

≫ ソウル トンジャ洞 4区域の住民と貧民団体活動家たちが龍山区庁前で住居移転費保障を要求するデモを繰り広げている.<ハンギョレ21> ユン・ウンシク記者

“それでも暮らそうという人々を支援してこそ”

当時、彼が案内して入っていった高試院の廊下は2階なのであるが, 部屋はむんむんしていた.
床には縞模様が満杯で, 天井には網の目が満杯だった.
真昼に腹をだして眠る者たちもあちらこちらに見えた.
ユン氏が“0.7坪”という部屋には小金色に変色した毛布だけが置かれていた.
彼は“ゴキブリの薬をどんなにばら撒いても、すぐ隣室から帰ってくる”と話した.
彼と話す間に人々が集まってきた.
各々“私も病人だ”と話す彼らは、“早く補償を受けて出て行きたい”と口を揃えた.
だが、今や、彼らはきちんと補償を受けることができなくてちりじりに散在した.

また、10月のトンジャ洞広間で高試院の環境を聞くとむなしい笑いが返ってきた.
パク氏は“ふとんから立ち上る臭いがものすごかった”と話した.
カン氏は“ある日、部屋に入ると服がぐっしょり濡れてしまった”としながら“誰がこんなことをしたと大声を張り上げたのだが, よく見ると壁を伝って流れていた”と話した.
それでカップラーメンの容器で受けたという.

イ・ドンヒョン‘ホームレスの福祉と人権を実践する人々’活動家は、“無保証月家賃に、交通が便利で、福祉機関が近くて、長屋村や高試院の住民たちが駅中心圏を離れられない”としながら“米国の単身世帯用賃貸住宅(SRO)のように、彼らのための住宅政策が必要だ”と指摘した.
ソウル 城北区 地域住居共同体団体‘分かち合いと未来’のナム・チョルグァン代表は、“それでも高試院居住者は日雇い労働などをしながら自ら立ち上がろうという人々”とし、“彼らを社会が支援しなければならない”と話した.
高試院, 読書室などの非住居用建物や旅館, 旅館などの宿泊業に暮らす彼らを‘不安定住居層’と呼ぶのだが, 彼らは人口調査でも捕えられない.
本当に, 今後、多国籍高試院はより一層増える展望だ.
雇用許可制で入ってきた移住労働者の宿泊費を事業主と労働者に‘仲良く’分担させようという政府案が出たためだ.
いまは慣行上、会社が宿泊費を負担するために、工場の寄宿舎で生活する人々が多い.
ところが、これさえ‘有料’になるならば高試院居住者は増えるはずだ.
9月25日、国家競争力強化委員会会議で出た‘国家競争力強化方案’だ.

シン・ユン・ドンウク 記者 syuk@hanI.co.kr