2008年3月ハンギョレ21 701号

[出版] 日本語で書いた朝鮮文学の正体

2008年03月13日 第701号

[出版] 日本語で書いた朝鮮文学の正体
朝鮮人の日本語小説まで網羅して植民地時代の風景を読むキム・チョルの <腹話術師たち>


□ ク・ドゥレ記者 anyone@hani.co.kr


“(電線で物を運ぶという話を死ぬまで信じていた母は) 私が京城(註:現ソウル)にいた5年間、数多くの電線を眺めて… 息子の荷物が電線にぶら下がって届いていないか待ったという.”
1942年 ハン・ソルヤの<血>という小説は電線をその時代の人々がどのように捉えていたかをよく見せる.
ヨム・サンソプの小説<電話>では‘テリュプン’(telephone)が葛藤を助長し、かつ解決する重要な物品として登場する.
“四角い木の板上に並べてのせられた白銅のベルが二つ”は、妓生(キーセン)が電話して夫を呼び出すと“杖刑に処せられる”のだが、後ほど思いがけない儲けのきっかけになる.

小説で植民地時代の風景を探して読む<腹話術師たち-小説で読む植民地朝鮮>(文学と知性社 編集・出版, ムンジスペクトラム 5-019)がとりあげた話だ.
本には国文学者でありまた‘国語の純粋性と単一性’を攻撃してきた著者の主張がわかりやすく溶けている.
頭が痛む歴史解釈問題はさておき(著者は<解放前後史の再認識>の編集陣だ), 著者が国文学に投げかける質問は気になる.
日帝時代に植民地作家によって日本語で書かれた小説は、韓国文学なのか日本文学なのか.
そのどちらの文学でもないのだろうか.

今でも‘聖域’として守られている韓国文学が韓国人によってハングルで書かれた文学だという常識は1936年にもあった.
雑誌<三千里>は‘朝鮮文学の正義’という特集記事で‘朝鮮文学は朝鮮の文字で朝鮮の人に読ませる為に書いたもの’という一般的な定義を代表的文人12人に聞いた.
誰もこれに対して異義を唱えない.
(暗黒期に密かに守られた信念ではなく、通念とも違い、この時期に‘帝国’の必要による‘位階化’のために朝鮮語搾取が激しくなかったかという議論と一緒に)彼は上のこの質問に正確に答える訳には行かないが, こういう定義によれば“日本語で書かれた数多くの作品は暗黒の中に沈んだまま”と話す.
第一に、研究する者の‘純朴さ’に由来するようだ.
彼は合せて、この時期が‘暗黒期’‘空白期’ではなく、韓国語と韓国文学のもうひとつの可能性が摸索される躍動的な時期だと話す.
“こんにち、それらは民族と母国語に対する卑怯な背信行為だとしか記憶されないが, その記録を丁寧にながめれば, 意外にも全く違う姿が現れる場合が多い.” 文の一番最初に引用したハン・ソルヤの<血>もやはり日本語で書かれた作品だ.

チャン・ヒョンジュがいる.
彼は植民地時期、最初に日本語で小説を書いて日本文壇にデビューした作家だ.
デビュー作は左翼文芸紙<改造> 懸賞公募で当選した<餓鬼道>.
彼の登場は、日本プロレタリアート文壇で‘地主階級と日本帝国主義の搾取に苦しめられる朝鮮農民の悲惨な生を告発’したという評価を受けた.
しかし、彼のそれ以後の問題作は両側の文壇で敬遠されて、いまは‘親日文学論’の片隅を占めるようになった.
著者は“帝国の支配下で、帝国の言語で発言する被植民地人は一種の複話術師”と話す.
(チャン・ヒョンジュに続いて日本文壇にデビューした) キム・シリャンが書いた<郷愁>に出てくるエピソードは、この小説の状況を現している.
要約すると、こうだ.

‘兄’は(亡命した)妹の案内で北京の北海公園を観光していたところ、妹は遠くに日本軍人が姿を現わすと恐怖に捕われる. 近くに行ってみると、日本軍人は兄の学校の同窓生だった.
彼は軍人と日本語で話したが、驚いて逃げだす妹を発見して‘待て’と言う.
日本語であり、妹は理解できない.

日本語で創作した動機は“民衆の悲惨な生活を広く世界に知らせたくて”(チャン・ヒョンジュ)といった作家たちの悲劇的な運命であるわけだ.

“構想は日本語でしていて問題にならないけれど, 書くのは朝鮮の文字で”しようとすれば朝鮮の言葉を得るために多くの時間を消費しているというキム・ドンイン, 最初のハングル小説<血の涙>を連載する前、漢字に朝鮮語の音をあてた奇異な小説を書いたイ・インジク(李仁稙).
このような苦悩を経て、近代韓国語が作られた.
韓国語は馴染まなく、‘外来的’なものだった.
韓国語が受け入れた近代化ではなく、韓国語が近代化の産物だった.