2006年3月ハンギョレ21 602号

日本の野球で日本を飛び越える
2006年03月21日 第602号

日本で見た韓国野球…繊細なプレーを学んだ韓国選手たちが水準を高めて… イチロー発言よりは勝利を‘兵役免除’のためだと騒ぐ日本メディアが問題
□ 東京=シロタ ユキヒロ <赤旗>スポーツ部 記者・ファン・ジャヘ専門委員 jahyeh@hanmail.net


3月16日 正午.
ワールドベースボールクラシック(WBC) 野球 韓−日戦(8強戦)に対する日本人の関心は, 東京・新宿の大型電子商店街テレビ売り場でも確認される.
ある売り場だけでも150余名の観客が静かに中継に没入している.


△ 韓−日戦敗北に'屈辱’を1面見出しとして掲げた日本の新聞.
WBCを契機として、日本は韓国野球を再評価している.(写真/日刊スポーツ)

イチローで代弁される日本代表チームと韓国のイチローと呼ばれる イ・ジョンボムが交差する画面には,‘勝てば準決勝, 運命の韓国戦’という字幕が試合の終始刻まれている.
国のために勝たなければいけないという韓国の執念
7回初めの韓国の2点先取に続く日本のホームラン1点に小さな感嘆の声が漏れ, 結局2対1で韓国の勝利.
‘まさか’という日本の野球ファンの表情はブラウン管にクローズアップされる‘憤慨するイチロー’の表情と重なり, その間に敗北を受け入れて、誰とも無く人々は異口同音にこのように話す.
“アジア予選時もそうだったが, 韓国は勝とうという執念が強い”
“太極旗をマウンドに挿すのはちょっと行き過ぎではないかという感じもあるけれど, 韓国の選手たちの気持は十分にわかる”

日本の50〜60代はほとんどみな野球世代だ. プロ野球が始まったのは1930年代.
しかし、米国との戦争で1940年代は英語を敵対視して‘ボール’は‘待て’, ストライクは‘良し’という用語で代替される等、英語が禁止される程であった.
野球チームの名前も軍隊のように‘巨人軍’と称して戦争色が充満した.
このような流れの中で、戦後、20歳の時から野球狂になったニシヤマミツオ(61)の韓国野球評価も意味深長だ.
“頭脳戦で速球を駆使したソン・ドンヨル, 足が速いイ・ジョンボム, アジアホームラン製造機 イ・スンヨプ、皆たいしたものだ.
さらに、日本には絶対に負けないという、団結された力が見える.
日本はオリンピックをはじめ、野球もやはり, 民族や国家のために勝たなければいけないという意識が韓国ほどには強くない. それが民族意識が足りないためなのかといえば, それはちょっと微妙だ.
むしろ、日本は‘民族意識が大きく出過ぎる国ではないか’という憂慮が正しく歴史認識を持った人々に存在するということだ”

日本でも米国でも圧倒される‘テーハンミングッ(大韓民国)’の叫び声と共に、イ・スンヨプのホームラン気勢は東京ドームと米国でも沈む気配がなかった.
特に、韓−日戦で見せてくれた韓国チームの積極性, 集中性, 勝負性の強い容貌が日本チームより上だった.
アウトのタイミングでも果敢に疾走した盗塁が1死2・3塁の好機を広げ, イ・ジョンボムの直球正面勝負が決勝打になった.
9回裏のサヨナラ敗戦をくらいかねない状況でも、韓国の大胆な投球が日本の長距離打者を撃破した.

△中日の時期のソン・ドンヨル.
日本リーグに進出して韓国に帰ってきた選手たちが韓国野球の水準を高めた.

しかし、何よりWBCで見せてくれたことは、一次元高まった韓国野球の現在であった.
一面不足した部分, 多少もたついて複雑だったプレーが、今回のWBCで進化したことを証明した.


失敗や不注意がないプレー.

さらに、韓国は日本よりヒット数が少なかったのに勝利した.
いままで韓国野球では特に見えなかったことが現れた.
一度チャンスがくれば逃さない集中力, 堅実な守備, 相手の隙をねらう作戦, 投手交替を通した持続性投球など、事実上日本特有の野球として見なされてきたことだ.
ところが、むしろ日本を凌駕しているのだ.
繊細な野球こそは日本のお手の物だったが, 今としては韓国に上場株式を全部奪われた感じだ.
そこには、日本野球で習った韓国選手の存在もある.
韓国プロ野球が始まったのは1982年.
日本よりも半世紀遅い出発だった.
その後、日本で走った新浦と入来投手, 渡辺などが韓国野球に入ってきた.
韓国からは1996年、ソン・ドンヨルが中日ドラゴンズに入団した. 人材交流を推進しながらイ・ジョンボムなどの野手も日本で活躍した.
この中で韓国のホームラン王 イ・スンヨプの存在は象徴的だ.
シーズン最多ホームランアジア新記録を打ち建て、賑やかに宣伝中日本に登場したが, 千葉ロッテマリーンズ1年次 イ・スンヨプは相手チームに徹底して研究されて、弱点である内角高めの変化球で執拗に攻撃されて極度の打撃不振に苦しめられた.
“自分のスタイルを全く異なる環境に合せるのに時間がかかった”というイ・スンヨプは、2度目のシーズンで軟らかい姿勢で球を遠く飛ばす彼だけの独特の打撃に戻ってきた. 周辺の意見に耳を傾け, 投手の配球を読みだす等、ますます余裕が出てきた.
結局、2005年千葉ロッテの躍進の一角を担うことになった.


アジアライバルたちの楽しい躍進

イ・スンヨプは今年から巨人(読売ジャイアンツ)に移った. 状況によっては巨人の4番打者になることができる.
日本のプロで最高の伝統と人気をもった, 盟主と称するチームの4番を韓国選手が預かるということ, それ自体は歴史の大きな変化を見せてくれることだ.
一部の韓国メディアは大会前にイチローが話した“韓国選手が今後30年は日本に手を付けることができないようにする”という発言を大きく報道している.
誤解を受ける発言はスポーツ選手としても、スポーツ精神としても避けなければいけないことだが, 真意はそれ程の意志で奮発するという意味だった.
むしろ、もっと問題は日本メディアが, 韓−日戦で日本が敗れた当日の報道で、韓国選手たちは‘兵役免除’のために必死だという分析を下していることにある.
しかし、韓国野球の力を兵役免除という‘飴’のせいだと評価する日本メディアの観点には賛成できない.
WBCでも大活躍するイ・スンヨプは“日本での2年の経験が生きている”と話した.
ソン・ドンヨル ピッチングコーチも、日本で習ったことを若い投手に教えているという.
彼らの現在の強さはこのようにして倍加された技術と精神的成長に後押しされているのはでないだろうか.

今回のWBCでの韓国躍進は、いままで‘アジアのリーダー’を自負してきた日本野球界でも意識改革を促進させるはずだ.
今後、韓国野球から日本が習わなければならないことも明確にある.
そして、アジアの立派なライバルとして、互いが切磋琢磨していく過程を見守るのも、これこそ韓-日野球ファンの楽しい役割だ.

 

いまはスモールボール時代
‘掴み取る’ではなく、‘絞り出す’野球, メジャーリーグも注目し始めた
□ ナム・ジョンヨン記者 fandg@hani.co.kr
 

スモールボールがビッグボールを抑えた.
米国の4強行が挫折して, 韓国と日本が準決勝に上がった今回の大会結果だけをおいてみればそうだ.
ビッグボールが得点を‘掴み取る’野球なら, スモールボールは‘絞り出す’野球だ.
スモールボールは頑強なマウンドと鉄壁な守備を土台に、攻撃ルートを多様化する. 犠牲バントは基本で, 点差が離れていてもスクイズサインを出す‘小心な’野球だ.
ホームランや長打などの個人技に依存するビッグボールに比較すれば、スモールボールは、個人の犠牲とチームへの忠誠を強調する.
日本はこれまでスモールボールの本場として呼ばれてきた.
キム・ボンヨン 極東大教授は、“日本の監督たちは打者に投球の度に‘打て, 待て’と指示を与える程”と舌を巻いた.

韓国野球は米国のビッグボールよりは日本のスモールボールに近い.
データに基づいた野球を繰り広げて‘コンピュータ監督’と呼ばれたキム・ソングン監督(現 千葉ロッテマリーンズ コーチ), 多様な作戦を駆使するキム・ジェバク 現代監督がスモールボール指令塔として通じる.
2005年、イ・マンス ジャン・ヒョジョを輩出した伝統的‘ビッグボール球団’三星に赴任したソン・ドンヨル監督は‘守る野球’を宣言, 周囲の世間の注目を集めたこともあった.
最近の流れを見ればスモールボールが大勢だ.
2005年、メジャーリーグ チャンピオンを握ったシカゴ ホワイトソックスのアジ・ギーエン監督はビッグボールスタイルの選手構成をスモールボールスタイルに変えて賛辞を受けた.
メジャーリーグでは、最近、選手たちのチーム寄与度を評価する‘生産的アウト’(productive out)を始めた.△無死状況で進塁打 △1アウトで犠牲フライや得点打などを成功した時に認められる.
メジャーリーグ公式ホームページであるMLBドットコムは、3月15日の米国の韓国戦敗北後に“スモールボールは偶然かまぐれではない体制”であり“メジャーリーグ、いや最小限米国代表チームでも見習うべきだ”と主張した.