2005年9月ハンギョレ21 578号

オンニネイバルグァンに ‘インディ’を 問う
2005年09月29日 第578号

弘大前インディシーン代表走者がさらけ出す‘思い通りに音楽すること’10年主流でなくした風景と時間を探して‘インディ’の自転車に乗って5集に

□ ハ・ジョンミン インターン記者/ ハンギョレ オンライン ニュース部 foolosophy@naver.com

ソウル 弘益大前でインディバンドたちが‘地中を泳いで’姿をあらわして10年が過ぎた.
彼らに対してある人は‘実験精神で武装したミュージシャン’と見るかと思えば, 他の側からは‘実力も商業性も足りない音楽狂’という冷酷な評価を下す.
このような混乱の中でモダンロック バンド‘オンニネイバルグァン’を訪ねに弘大前に向かった.
ところが、偶然路頭で‘もっともな’コメントを聞くことができた.
ある青年たちが楽器を担いで通り過ぎる姿を見た一人の男が“彼らはインディバンドのように見えるね.ところで、インディって何だい?”と尋ると、その友人と思われる人が‘インディ’とは“巨大製作社から距離を置いて、小さいが自分の思う通りにしてみるということではないかな”と説明していた.
それなら、インディバンドは‘自分の思う通り’になにをしようというのだろうか.
オンニネイバルグァンにその答えを聞いてみることにした.

まず、インディバンドの生きている歴史であるオンニネイバルグァンの今日が気になった.
“非主流でもアンダーでもない, インディバンドという曖昧な正体と実体性に閉じ込められて苦しい時もあったことは事実です. それでも、いままで走ってきて、結局はインディという正体と実体性をうれしく受け入れることができました”
としながらチームのリーダーである イ・ソグォン氏は自分たちの‘インディ性’に自信を表わした.
それとともに、‘インディシーン’が挙げた重要な成果をひとつひとつ選んだ.
“コピーがうまいバンドが認められていた雰囲気から、自作曲で勝負する風土が生まれて, セルフレコーディング技術も発展しました. いくつかのバンドを中心としてインディ市場もある程度確保されて‘ムーンライズ’ のような特色のあるレーベルも出てきました.”


“自作曲風土に変わってレーベルも生まれた”

いまではデリスパイスと共に弘大前インディシーンの代表走者に選ばれるオンニネイバルグァン.
彼らの開始はイ・ソグォン氏の‘嘘’からで、その後は‘ところが’の連続だった.
1993年、パソコン通信モダンロック小サークル‘モソモ’を運営していたイ・ソグォン氏は自身をオンニネイバルグァンのリーダーとして自己紹介した. 当時オンニネイバルグァンは存在していなかった.
‘ところが’この名前だけあって実体がないチームはバンドに好奇心を持ったメンバーたちが集まりながら、とうとう本当のバンドになった. ‘ところが’ イ・ソグォン氏は ギターを握ったこともなかったし、楽器を扱うことができるメンバーがほとんどいなかった.
彼らの目標は“ライブを一度して別れよう”ということだった.
またもう一つの‘ところが’, 1995年 7月、彼らのデビュー公演は弘大前クラブ DRUGの歴史上最多観客を動員する. 1996年に発売された彼らのデビュー アルバム<鳩は空のネズミ>も相変らずよく売れている.
このように出発したオンニネイバルグァンはインディバンドの小さな歴史を記録している. 10余年間活動しながら計4枚のアルバムを出した.
主流に対する独立性と自尊心を持つのが難しい‘韓国的インディ土壌’では稀なことだ.

オンニネイバルグァンの活動もやはり主流に対する憧憬から抜け出すことができなかった. といえどもインディ性をあきらめることはできなかったとイ・ソグォン氏は話す.
“オンニネイバルグァンはいつも商業的にも成功したいと話してきました. 率直な心境でもあったのですが‘インディエティチュード’に外れるからと商業的な路線をタブー視する慣習的な雰囲気に対する反発でもありました. 実際にわたしたちは、1集の時からメジャー社との契約は拒否し, 可愛い女子ボーカルを入れろという提案も拒否しました. こういうことがインディだから持つことができる純粋性ではないでしょうか.”

△以前弘大前に単独スタジオを用意していたモダンロック バンド 'オンニネイバルグァン', インディの感受性で混ぜ合わせた5集を披露しようとアルバム準備の真最中だ.
左側から イ・ヌンリョン(ギター), ジョン・デジョン(ドラム), イ・ソグォン(ボーカル・ギター)氏.


このくらいになれば‘自分の思う通り’という言葉は半分くらいは合うのかもしれない.
商業的成功に対する欲望は、バンドの生計対策を建てなければならなかったリーダーとしては生存の機会を模索するための苦肉の策ではなかったか. 他のメンバーのインディに対する考えが気になった.
チームでギターを受け持っているイ・ヌンリョン氏は、1990年代に登場した‘インディバンド’という概念が当時蔓延していた音楽風土に対する反発から出たと話す.
“当時、ヘビーメタルをしていた友だちはなにかを表現したくて音楽をするというより、‘窮極のヘビーメタル’という目標値を定めておいて訓練する感じでした. インディ音楽はジャンルや音楽的価値を優先視しません. 私が表現したいこと, 私の考えが最も重要です.”
最近、オンニネイバルグァンは‘裕福なインディバンド’とみなされる. 少なくとも音楽的指向をあきらめながらアルバムを製作しなくてもいい. かと言って、彼らのこれまでが行路が平坦だったわけではない. メンバーも変わり続け, 一時完全に活動をやめたこともある.
決定的な契機は2集アルバムだった.
音楽的完成度もあると考えたのだが、ファンと批評家たちは背を向けた.1集時のようにはつらつとしたアマチュアリズムが見えないとされた. アルバム販売量も期待に沿えず、以後を約束できない境遇になった.
結局、イ・ソグォン氏は一般企業に就職し, 他のメンバーはちりじりに散在した.
そうこうして4年後, 飼っていた子犬の手術費用が必要になって音楽をしてみることを心に決めたイ・ソグォン氏がオーディションを通してオンニネイバルグァンのメンバーをまた集めた.


3・4集公演後に得た‘自転車論’

世の中とは、どうなるかわからないものだ.
4年余の空白を踏んで発表した三番目に続き、四番目のアルバムまで‘大ヒット’の隊列に上がったのである.
このような爆発的な反応に助けられてオンニネイバルグァンは‘今後アルバムを少なくとも10枚は出す機会’を得た. メンバーを‘理髪師(註:「イバルグァン」は「理髪館」〕’という愛称で呼ぶファン層も厚くなったし、ミュージックビデオがテレビ画面に登場することもある.
ところが、オンニネイバルグァンが突然違う言葉を語り始める.
裕福さを味うというより、むしろ本物のインディエティチュードとは何かを知ることになったようだ.
“主流に行って広報もしてみたし, 大きな会場で単独公演もしてみましたが、結局私たちの正体と実体性は、より小さく, すこし質が落ちても自ら作ることの価値が本当に重要だということを悟りました.”
もう一つの未来を夢見るオンニネイバルグァンの希望事項に対してイ・ヌンリョン氏は‘自転車論’を説破する.
“4年ほどクルマを乗り回したのに、時々自転車に乗ると、それまで運転で奪われていた時間や風景が多いことを悟ります. 巨大なシステムや新しい技術はそういうことを得る機会を与えないようなものです.”
理髪師たちは‘インディに関する新しい発見’は5集アルバムと活動で表れるようになるはずだと皆が話す. 飢えを解決した状態でなされる豊穰な実験を期待してみるに値する.

弘大前インディシーンを経て10年の屈曲を経験した‘老いたインディ’を注目すると、‘老いないインディの歌’が聞こえてこないだろうか. そのような意味でインディバンド オンニネイバルグァンは、これからまた開始だ.
 


インキュベーターの自負心を破るのか
反復される誤解でうんざりするライブクラブとインディバンドたち

夏の終始、弘大前は騒々しかった.
去る7月30日の文化放送<音楽キャンプ>で行われた‘裸露出’事故で、突然弘大前クラブが‘ブービーブービー’ 文化などの退廃の温床として烙印を押された.
これは‘インディバンド’と弘大前‘ダンスクラブ’との曖昧な連結の輪のためだった.
最もびっくりしたのは、長い間インディバンドを培ってきたライブクラブたちだ.
10年前‘インディシーン’の中心背景として, それ以後にも粘り強くインディバンドの‘インキュベーター’を務めてきたライブクラブの自負心は高い.
弘大前ライブクラブ‘PPANG’を運営するキム・ヨンドゥン氏は“頼むからライブクラブとダンスクラブを区分して考えてくれ”と話す.
若い文化人が自由に創作・疎通する文化的伝統を意味する弘大前の‘インディ精神’を受け継いできたライブクラブは、2002年以後雨後の筍のように生まれた商業的なダンスクラブとは性格が全く違うという説明だ.
インディバンド‘ミソンイ’‘ルーシッドポール’などで活動したジョ・ユンソク氏は弘大前クラブが自然な文化の流れ中のにいるという点を強調する.
“抵抗精神や文化的対案として大層に構えているわけではありません. 弘大前は音楽をする人々の欲求を噴出する空間であったし, 今でもそうです. 望む人は行って楽しんで演奏できるようにそのまま置いておけばよいでしょう.”
 
今後、弘大前ライブクラブとインディバンドはどうなるのだろうか.
裸波紋から袋叩きにあった後、インディバンドに対する各界の関心が増幅される雰囲気だ.
去る9月2日、文化観光部で‘インディ音楽振興のための専門家懇談会’が開かれた. ‘PPANG’ 代表キム・ヨンドゥン, ウェブマガジン<カスム>編集長パク・ジュンフム 等、8名のインディ音楽専門家が参加した席で、ホットミュージック イ・ヨンボク代表は大規模支援金造成, インディ音楽が大衆に会うことができるチャンネル確保, 評論機能強化など、三部門に対する支援が切実だと話した.
政府次元でインディ音楽を支援しようという動きをきれいでないと見る視線もある.
インディバンド‘オー! ブラザース’でベースを受け持っているイ・ソンムン氏は政府の関心はややもすると干渉になり得ると指摘する.
“最近、人々は非常に速く変わっていて, インディに対する人々の認識がかなり良くなりました. 国内インディ音楽よりも外国インディ音楽消費量が多いというのが不満といえば不満ですが, 絶望的な状況ではありません.”
既にインディ音楽は自活力をもち、よく大きくなるというのが彼の判断であるわけだ.