2005年8月ハンギョレ21 570号

[放送] ‘弁護士たち’は韓国ドラマを変えるか
2005年07月27日 第570号

不正なお金とはらはらする心理戦を緻密に構成し、視聴者刺激ジャンルをちりばめて拮抗した、緊張感が華麗なキュービックパズル時代がくる

□ カン・ミョンソク/文化評論家

最近、インターネットはいわゆる‘スポイラー’が大勢だ.
スポイラーとは、作品の結末と反転のような, 作品の面白味に重要な影響をおよぼす情報を称するのだが, インターネットでは特定作品に対して言及する時は‘スポイラー’のような付言をすることがネチケットのように思われている程スポイラーに敏感だ.
特に最近は反転が重要なスリラーや推理物だけでなく、文化放送の<私の名前はキム・サムスン>のようなドラマで、‘誰が誰とどうなるか’を当ててもスポイラーとして認められる程だ.
それほど最近の人々は自身が気になることに熱狂する.

<ロスト> <危機の主婦たち>など、大部分の人気海外シリーズがジャンルに関係なくスリラー的要素を含んでいることを勘案すれば、韓国もますます大衆の関心を誘発する作品が反応を得ることになりそうだ.
既にミステリーを強調したSBSの<グリーンローズ>が相当な反応を得て, もう少し正統ミステリー物を指向する韓国放送の<復活>もやはり<私の名前はキム・サムスン>の威勢に押されて、視聴率は高くなかったがマニア視聴者を引き込むのに成功した.
文化放送の<弁護士たち>も、その延長線上にある.


正しい生活男, 新しい接近

<弁護士たち>は、スリラーの特徴をそっくり含んでいる.
政治圏の不正なお金, 各々善と悪の入場に立った2名の弁護士たち, そして、我が方になるのか悪に寝返るのかわからない女まで、まんべんなく登場する.
だが、<弁護士たち>は独特の観点でこのような要素に接近する. <弁護士たち>は、自分たちのストーリーや反転を大袈裟に包装しない.
出演陣それぞれ自ら‘犯人は誰か?’とか, 視聴者も既に気がついたことを反転だとは明かさない.
既に初回からすべての事件の糸口は提供されていて, 登場人物は何度もの推理を通して即座に真実に迫る.
その代わりに<弁護士たち>で視聴者を刺激するのは、その情報を活用するキャラクターたちの‘気になる胸の内’にある.
主人公は皆秘密を知っているけれど, それを無条件に暴露する代わりに互いの気持ちによって相手方あるいは自分自身と交渉する.
ジュヒ(チョン・ヘヨン)の過去の恋人であり、悪の代理人へ戻ったソッキ(キム・ソンス)が汚名をかぶせてジュヒを拘束させようとすると, ジョンホ(キム・サンギョン)が自身で集めた証拠を通してソッキを圧迫, これ以上互いに攻撃しないように約束する部分が代表的な例だ.
彼らは、善と悪, 自身の愛と組織の論理の間で悩んで, その選択によって話の展開が変わる.
そのため<弁護士たち>は、正答が解かれる瞬間、全てのものが解決するのではなく、むしろ始まって, その根源を人間の欲望と道徳との間のハラハラした綱渡りに求める.

△ ドラマ<弁護士たち>はキャラクター同士の葛藤で関心を誘発して, 善悪の二分法を破っている. 左側から ハン・ゴウン, キム・サンギョン, チョン・ヘヨン, キム・ソンス.

悪役を引き受けたソッキが過去の愛であるジュヒとの関係ゆえに葛藤することはありふれた設定だが, 少しの誤差もないような正しい生活男であるジョンホの道徳的な面を、むしろ権力欲以上の‘道徳的でありたい欲望’として分析することはキャラクターに対する新しい接近だ.
ソッキとジョンホが戦って“人間は終わりまで悪であることは出来ない”と“人間は終わりまで善良ではありえない”という話でお互いのコンプレックスを刺激する場面は、<弁護士たち>の特徴を含蓄的に見せる.
本当に緊張して気がかりなことは、事件の解決ではなく、自身の欲望と道徳との間で葛藤する人間たち, そして彼らの関係だ.
ソッキとジョンホどちらも自身の大義(公益/ボス)と欲望(ジュヒ)との間で葛藤するだけでなく, ソッキの秘書でありジュヒの最も親しい友人 ハヨン(ハン・ゴウン)は、愛と友情あるいは正義と利益との間で悩む.
特にジョンホはジュヒとは夫婦関係以上の信頼を積むが、ジョンホは疑い深い妻ゆえにジュヒに気持ちをより多くやることも, おさめることも出来ない.
ジョンホとジュヒのラブストーリーは行き過ぎる程に無愛想なジョンホのキャラクターと一緒に男女の愛だけでも‘スリル’を見せる.

また、他のスリラーとは違い、スリラーの典型を抜け出し, 合せて事件の展開に必要なだけでなく、むしろその事件を通してより一層鮮明に表れるキャラクターの面々は印象的だ.
専門大を卒業, 自身の競争力が取りあえず‘外貌’だけであることをあまりにもよく知るハヨンが女性弁護士の乳房拡大手術の噂を聞いて“エリートでも胸の大きさに神経を使うのね”と話す場面はそれだけみればあたかも女性ドラマのように感じられる程であるキャラクターの日常を深く掘り下げ, それはハヨンが事件に介入することになる根本的な理由を見せてくれる.


“エリートも胸の大きさに神経を使うのね”

まだ6回しか放映出来なかったが, いままでの<弁護士たち>は、韓国ドラマが文化放送の<勝手にしやがれ>以後、もう一度変化の基点に立っていることを見せてくれる.
<勝手にしやがれ>がドラマが眺める世の中の幅を広げたとするなら, <私の名前はキム・サムスン> <復活> <弁護士たち>と同じ一連のドラマは韓国ドラマの技術的構成がどれくらい緻密であるかを見せる良い例だ.
既にドラマはスリラーからメロー, コメデイまで、あらゆるジャンルを仰いで, その上に生きているキャラクターを付け加えて, それでも足りずにそれらに拮抗した緊張感まで附与しなければならない華麗なキュービックパズルとして成っていっている.
これは、<弁護士たち>が視聴率と別個に海外シリーズに習熟した若い視聴者から既に尋常ではない反応を得ている理由と通じるはずだ.
見れば気になって, 頭の中は複雑になって, 心は退屈なだけだ.
だが、このような緊張感と頭脳戦、これこそ最も苦しいけれど楽しい遊びではないだろうか.
何年か前からドラマは‘考え無しで気楽に’見るジャンルという話に自ら異議を提起し始めた.
<弁護士たち>がその決定打を飛ばすことができるだろうか.