2004年9月ハンギョレ21 525号

帰ってきた‘サナイ’人気ありますか?
2004年09月02日 第525号 [文化フォーカス]

帰ってきた‘サナイ’人気ありますか?
大衆文化素材として浮上する‘強い男子’… 復古に留まる原初的男性性, 最新版男子に押されるか
□ チェ・ヘジョン記者 idun@hani.co.kr.

△ イラストレーション/ イ・ガンフン

‘サナイ(註:男らしい男)’が帰ってきた

不良であり異端な生き方の高校生と義理に生きて死ぬシルミド部隊員を越えて, 朝鮮戦争で兄弟愛を誇示したサナイたちはすでに日帝時代に遡り、“全国を廻って会いに来る”に至った.
以前まで‘うな垂れた男性’たちが情けなさをかもし出しながら汽車に情熱を傾けたり(<ペパーミントキャンディ>), 夜にだけ仮面をつけて活躍する小心な会社員(<反則王>)で観られたが, 以前からは愛国忠実な気持に充満して力強い男性たちがその代わりをしている.
限りなく軟らかくて純粋な花ハンサムと、ファッション感覚までが最高のメトロセクシュアルが人気を呼ぶというが, 現実の自我は無能で矮小だ.
無気力な自画像に対する反作用のせいだろうか.
最近、大衆文化では強い男子を追憶して再生産する動きが盛んに進行中だ.


力道山・李舜臣があたえるカタルシスの停滞

昨年 <シルミド>と<太極旗を翻して> <マルチュク通り残酷史>など‘男性の, 男性による, 男性のための’映画が連日大ヒットを炸裂させながら, 最近過去の英雄的人物が大衆文化の中心素材として浮び上がっている.

△ <風のファイター> <多黙 安重根> <力道山>(最頂上から)に登場する強い男子たち.<オオカミの誘惑>の男子だけが脚光を浴びることができるだろうか.

以前封切りした<風のファイター>と、来る12月お目見えする<力道山>は、各々極真空手道創始者のチェ・ペダル(註:大山倍達)とプロレスラー力道山の人生経歴を描いた作品だ.
韓国人ながらも全日本人の英雄として浮び上がった伝説の2ファイターが並んで映像で再現された.
暗鬱だった日帝強制占領期間時期, 韓国人であることを‘堂々と’明らかにしながらもからだ一つで逼迫を受ける民の悲しみを解いた2人の‘英雄’の波瀾万丈な一代記は、映画製作以前から多くの話題とうわさを巻き起こしてきた.
似た脈絡から、映画<多黙 安重根>は、民族の英雄をアクション英雄として描いて‘カタルシス’をプレゼントする.
映画で安重根義士は屋外カフェで狙撃手の襲撃を受けるが, 銃弾が飛んできてのからだを飛ばして避け、その上、奪った銃で敵をなぎ倒す‘アクションスター’に変貌した.
これら人物の共通点は、植民地民の悲しみを強い男の力で勝ち抜き, 日本帝国主義時代を熾烈に生きていきながら韓国男子の自負心をうち建てたということだ.
また、小説<刀の歌>で始まってドラマまで製作されている‘李舜臣 熱風’は、危機に瀕した国を救った強靭な男性性に対する郷愁だ.
李舜臣は、南北問題, 日本との関係など、韓国特有の時代的・政治的状況にぴったりな愛国のアイコンだ.
ここでは表面は強くみえるけれど, 内面で深く思い悩む個人的な苦悩と孤独さは深い‘共感’を形成した.
このような一連の現状に対して, 一部では韓国男子の正体と実体性を樹立する流れとして分析する. <チング>で始まったマッチョ的な男性性と男性連帯に対する賛美, 攻撃的なアクションと情緒を通し、現実では有名無実になった男性的価値を画面上の‘過剰男性性’で補償を受けたいという説明だ.

クォン・キム・ヒョニョン国民大講師は、“女性たちの権利要求運動が活発になっていわゆる‘父の権威’が失墜しながら, 民族・戦士としてのイメージを通して男性性が相変らず有効で称賛することだけのことはあるという主張を繰り広げている”と解析した.
力強く、または充満した民族意識で日本に勝った原初的な男性を通し, 男性の強靭さを誇示したという主張だ.

観客1千万時代を迎えた映画産業で多様な素材が映画化になって, 実話が持つ力を‘安全ピン’として確保しようという製作者, 監督たちの思惑も男性映画が作られる背景だ.
<共同警備区域JSA>を製作したミョンフィルムのシム・ボギョン理事は“素材が現在だけでなく、過去, 未来に拡張されることは映画産業のパイが大きくなりながら起きる自然な現象”とし“最近は完全に新しく作りだした話よりも、実際にあった話が観客にアピールし, その過程でドラマチックな生活を送った人物に自然に焦点が合わされる”と説明した.
しかし、このような伝記物映画に含まれている民族主義的な見解が警戒対象になることもある.
過去史で大衆性を探していたら、人々が容易に熱狂する英雄的・国粋的な民族主義が全面に浮び上がる.
そして‘当然’このような叙事の主体は強い男性だ.
クォン・ヒョンボム大田大 政治外交学科教授は“映画が韓民族中心的な閉鎖的情緒を込めて, これを強化するのに寄与している”と憂慮する.
クォン教授は“攻撃的で戦闘的な男性性と国家愛国主義, 家族主義が結合しながら強い男子に対するファンタジーを作りだした”としながら“このような流れが韓国社会で主流の情緒になって, 映画がこれを無批判的にあらわしている”と批判した.


拳の英雄たち, 顕在化になるのが難しくて

このような拳類の‘強い男子’たちが復古的な映画のなかだけで生きていて, 現実には歩き出せないという点はもう一つのアイロニーだ.
脱近代と新世代文化談論で要約される1990年代をすぎながら、現代的空間の‘強い男子’はすこし異なる様相を帯びる.
8月末現在, ティーンエージャーの熱狂的な支持を受けて220万観客を動員している<オオカミの誘惑>には2名の‘タフガイ’が登場する. 殴り合いを好む不良青少年たちだが、年上の女性を‘リ―ド’し、決断力ある人物たちだ.
タフガイ チョン・ウソンはCFで図体の大きい連中をなぎ倒すサラリーマンとして‘活躍’中で, 高等学生歌手は片思いしている年上の女の子に向かい“君はぼくの女”と叫ぶ.

全てのものを惜しまなく出して、純情的で母性愛を刺激する人物が一時流行したとするなら, 最近は金があってカリスマ性もあってスタイルが良い男性が‘脚光’を受ける.
“エギヤ(註:恋人よ)”の一言で今夏を評定した<パリの恋人>のハン・キジュは最新版‘強い男子’であるわけだ.
映画評論家 シム・ヨンソブ氏は“今は男性性が物理的な力ではなく、お金と結合し始めた.大衆文化の主な消費層である若い世代が既に資本主義をとことん経験しているため、大義に死んで生きた非現実的な男性性よりは金銭的に力が強い男性を新しいファンタジーとして作りだした”と解析した.
義理を叫んだ‘元祖 タフガイ’チェ・ミンスは ‘没落’して, “無力な正義は無能で, 正義のない力は暴力”と素手で牡牛を捕えたチェ・ペダルは顕在化出来ない.
そして、資本主義は強固でお金は容易には稼げない.
権威を奪われたという被害意識と相変らず持っている既得権の間で分裂しながら‘強い男性’を探す長い旅は容易には終わらない態勢だ.
男性たちがひとりふたりと割られた鏡の前に帰ってきている.