2003年10月ハンギョレ21 481号

[映画] 不和の時代, 暖かい響き
世界最長期囚に関する長編映画<選択>を作った ホン・ギソン監督とイ・メンユ作家夫婦の映画の話
[ 文化 ] 2003年10月23日 第481号

[映画] 不和の時代, 暖かい響き
世界最長期囚に関する長編映画<選択>を作った ホン・ギソン監督とイ・メンユ作家夫婦の映画の話


1951年に二十五歳だった青年は、監獄で45年を送った後、七十歳を越えて世の中に出てきた.
‘世界最長期囚’ キム・ソンミョン, 彼は私たちを当惑させる.
“紙きれ一枚の転向書”を書かずに、あらゆる拷問と暴力と孤独を耐えて生涯を監獄で送った人, わたしたちは彼の選択を理解することができるだろうか、映画<選択>(10月24日封切り)は、この質問を私たちに投げかける.


ロマンスがない映画を作る理由

‘不倫’とセックスと笑いに魅惑され、“思想犯? 長期囚? 何の話?”こんな世の中で‘向こう見ずに’こう訊く者も、やはり当然少なくないだろう.
この映画を作ったホン・ギソン(46)監督とシナリオを書いたイ・メンユ(39)作家夫婦に必ず会ってみたいという想いは、映画を見ながらますます大きくなった.

‘光州(註:光州事件.1980年、光州市で市民デモ隊’の鎮圧に国軍が投入され、二千人とも言われる多数の死者を出した.)の責任者が権力の中心にいた1989年, 光州抗争を正面から扱った映画 <ああ! 夢の国>を作った ホン監督は、80年代末の新しい映画運動の主役だった.
1992年、徹底した取材を土台に、船員たちの辛く厳しい生を極写実的に描いた初めての長編<胸に込められた刃で悲しみを断って>で、いろいろな映画祭の賞を席巻したが、まもなく到来した時代に彼が立つ場所はなかった.
彼は企画したいろいろな映画が相次いでつぶされるのを見なければならず, <選択>は、彼が11年ぶりに作ることができた2度目の長編映画だ.

イ・メンユ作家は、“映画は監督に似て出てくるようです. この人は率直, 淡白というしかありません. <選択>に初めてお金を出そうという投資者が、ハリウッド式に‘女子を一人登場させてロマンスを入れよう’というので、私が台本を書いたのに、この人が撮らないのです. お金を出すからと、あれこれ変えようとした会社は、中途でやめようと言い出したのですが、結局、嘘も通じなくて、淡々と作るようになりました”と話す.


写真/ホン・ギソン監督 イ・メンユ作家 夫婦.
冷笑的な時代を、暖かい視線と熾烈な姿勢で生きていくふたりの<選択>は、‘私たち’の内面を見させる


イ作家は、<胸に込められた刃で…>のシナリオを書き, 短編映画<記憶> <一夜, 一昼>を監督し、青少年映画を準備している監督でもある.
口数が少なくて慎ましいホン監督だが、すぐ“この人が大学の時、労働演劇団で活動したのだが、‘加里峰(カリボン)うさぎ’というニックネームで、労働者の間で最も人気があった名俳優であった.
今回の映画も、事実取材から物語構成まで、この人の作品”と、夫人の誇りを隠さなかった.
夫婦が<選択>を構想したのは、1995年,“<ハンギョレ>で、‘45年間監獄に閉じ込められていた世界最長期囚キム・ソンミョン’記事を読んだ時”だ.
まもなく、イ・メンユ氏がソウルの‘出逢いの家’に長期囚を訪ねて, 長い間の監禁生活と警察の監視, 利用されるかもしれないという恐れから彼らの心を開くために、数ケ月間、清掃と食事作りなどを共にして用心深く話しかけた.
当時は長期囚映画を準備することだけでも、どのような目にあうかもしれない時期なので、彼女は警察の目を避けて情報戦を彷彿させる秘密作戦の末にシナリオを書いた.
南北首脳会談でこのような映画を作っても収監の心配をしなくていいほど世の中が変わった後には、お金の問題が困難に陥って、3年を超える紆余曲折の末に映画を完成した.

“私にも夢があった”というキム・ソンミョン氏の独白から始まる映画は、特に1970年代の維新政権下で行われた苛酷な転向工作を中心に置く.
キム・ソンミョン氏が大田矯導所に移監される初めの場面から、老人になって出監する最後の部分まで、ずっと矯導所の塀の中にだけ留まるカメラは、長期囚たちの苦痛と葛藤, “人間として生まれて人間として死のうとする” 熾烈な一日一日と、彼らの向い側で長期囚を脅迫して拷問と飢えさせる転向担当刑事たちの姿を努めて物静かで冷静に記録する.


△映画<選択>は、長期囚をひとりの人間の姿として描き出した.
映画は、転向長期囚たちの事情もまた無視しない.


人間的な長期囚, 彼らの夢と自由

イ・メンユ作家は、“一番たくさん受けた忠告は、一般人がもう少し簡単に見られるように外部にいた一般人の視線で長期囚の話をしろということだったのですが, わたしたちはそうすると長期囚が英雄になると考えました. 長期囚を英雄ではなく、ひとりの人間として描いてみたかったのです. 彼らの生は、そのように華々しくはありません”と話す.

ホン監督は、“自殺を一度も考えてみない長期囚はいません. 率直に、彼らも人間なので、毎朝今日はいっそ印鑑を押してしまおうかと思ったが、トイレに座って差し込む陽差しを見ながら心を引き締めたりします. それでも、終わりまで粘ったということは、天に恥ずかしくないという良心と、同志愛のためです.
0.75坪の独房に閉じ込められたまま、絶えず壁を叩く‘通房’をすると互いに心配してくれて、‘もう一つの自分’としての同志に頼って彼らはその歳月を粘りました.”

いろいろな非転向長期囚の中でも、‘キム・ソンミョン’氏を主人公としたのもそのような意味だった.
染色工場と鉄工場労働者, 自転車修理工などの職業を持った‘温順な労働者’キム・ソンミョンは、“皆が平等に良い暮らしをすることができる”という話に魅了されて人民軍に加わった.
雄大で透徹な理念教育も受けなかったし、闘争に率先する人でもなかったが, 彼は遠くの権力から尊厳性を守って自身を育てた.

ホン監督は、“しかしながら、拷問されて書いて(註:転向書を)、出てきたということも. 知識人の軽薄な弁明ではないでしょうか?‘ただの紙切れ一枚を書いて出て、明日をどうにかしなければ’というような…. 光州でも、底辺の人々は終わりまで戦って死に、知識人たちは最後の瞬間に抜け出しました”と話した.

“人々は自由が監獄の外にあると考えますが、私にとって自由は、監獄の中にありました. そこに、最も大切な自由, 良心の自由がありました”という映画の中のキム・ソンミョンの言葉のように、監獄の外にあった人々, または監獄で長期囚を威嚇して転向を強要し, 暴力で人間の思想を‘転向’させるという傲慢な権力に同意した‘私たち’が、もう一つの監獄にいたのではないだろうか.

ホン監督は、“共産主義者に歯ぎしりして転向工作を指揮する悪役オ・テシクにしても、 ここに暮らした多くの普通の人々のスポークスマンであり悪役を担当したもう一つの犠牲者でないかという想い”をする.
長期囚たちが40年以上経験した‘大韓民国’とは、忌々しい暴力と侮辱を加える者たち, 人間を尊重することがない人々の姿ではなかっただろうか.

非転向長期囚を英雄として作らないという彼らは、全く同じく苦労した歳月を送ったが、転向せざるをえなかった長期囚たちの‘選択’もまた無視しない.

イ作家は、“取材しながら会った多くの転向長期囚たちは、‘その時、私は死んだ’‘空を真っ直ぐに見られないまま暮らした’という自己恥辱感を持っていました. 自分の安楽のために転向した人はひとりもいません. 家族が自分のために直面するひどい被害と苦痛を減らすため, または、痛みでほとんど死にそうになって転向書を書かざるを得なかったのです”と話した.

転向書を書けば、すぐに釈放になって良い生活をしたという一般的な誤解とは違い、転向した人々もやはり刑期を満たして解放されることができたというのも、この映画ではじめて知ることになる事実だ.
<選択>は、先入観でなく,無駄のない真実と深い悩みの力で人々を静かに泣かせる.


相変らず世の中を変えることは続けていかなければならない

彼らに相変わらず付いてまわる質問は、“この頃のような世の中に、どうしてこのような映画を作ったのか”ということだろう.

彼らの答えは、“釜山映画祭で上映した時、冷戦を体験して運動圏で暮らした30〜40代にはあまりにも深刻な負担になったのですが、むしろ、若い世代にはそのままひとりの人間の話として受け入れられましたよ”(ホン・ギソン), “世の中が大きく変わったと言いますが、 キム・ソンミョン氏にこのフィルムを送ろうとして出した搬出申請は統一部によって拒否され, ソン・ドゥユル教授は既に法的にはなくなった転向書を強要されることが‘変わった’現実です”(イ・メンユ)だ.

この映画はあまりに遅く来たのだろうか, でなければ、“世の中が変わった”という私たちの宣言があまりにも早いのだろうか.


文 パク・ミニ記者 minggu@hani.co.kr 写真 ユ・ウジョン記者 wjryu@orgio.net