[ 文化 ] 2003年07月09日 第467号
29歳の同い年同士の女の性と愛・友情を収めた映画<シングルス>が喜ばしい理由
29歳の同い歳同士の女の性と愛, 友情を収めた映画<シングルス>.
<シングルス>は、シングルたちの姿をスケッチして、生き生きした台詞とりりしい視線で豊かに描いた.
女性たちの対話に耳を傾け、彼女たちの悩みを聞いてみる.
“29歳, 恋人とは言わないけれど欲しいものは多い.”
米国のフェミニスト劇作家 ウェンディ・ワソスタイン原作のミュージカル
<きつねたちのパーティ>のこの広報コピーは、映画<シングルス>(7月11日封切り)にも完全に一致する.
4名の若い主人公が登場するが、実際は2人の女友達の話である<シングルス>で、ナナン(ジャン・ジニョン)とトンミ(オム・ジョンファ)は、愛とセックスと結婚に関しても率直で軽快に話すけれど,
職業と夢, 友情もあきらめない.
むしろ、彼女たちにとって最も大切なことは、女友達の間での友情だ. 29歳の女の悩みと喜びが、どうして恋愛とセックスだけだろうか.
本当に彼女たちの欲望と悩みを知っているのか
写真/20代後半女性たちの欲望を、愛情深い眼で収めた<シングルス>.
同い歳同士の2人の女の男は、あまりにも完壁で非現実的だ.
20代後半〜30代序盤の女性たちの欲望をあらわす映画とドラマの行進-<シングルス> <屋根の上の猫> <風が吹く家族> <おいしいセックス そして
愛> <ブリジット・ジョンーズの日記> <セックス アンド ザ シティ> <フレンズ>
<きつねたちのパーティ>-は、この世代の女性たちの、生に対する関心が決して薄いものではないという証拠だ.
確実に最近のこの世代の女性は、この年齢にして、まだ結婚の垣根に入っていかずに、相変らず未来を探索して,
時には苦労して気詰まりになっても自らの仕事をあきらめず, そのまま結婚をしないままのこともある, 2千年の歴史で初めて登場した‘現状’だ.
そして, そのため、 彼女たちの悩みは一層複雑だ.
“お小遣いではなく、月給を受けとるようになってからは、朝になるたびに悩むことが多い”という29歳のデザイナー ナナンも同じだ.
頭にコインほどの円形脱毛症を発見した憂鬱な日に、ぜいぜい息を弾ませながら駆けつけた会議で上司にひどく叱りつけら,
長く付き合ってきた恋人は“ぼくたちの関係はよくわからない.”という、ありふれて卑怯ないいわけと共に訣別を通告する.
そして、卑劣な上司のせいで、外食事業部レストラン マネジャーという、事実上の解雇と違わない左遷にあう. 仕事はひどく、客たちは文句を言う.
ああ, そのまま辞表を出すべきだけど…?
ナナンの同い年の幼友達であるトンミは、敷金が足りず、おとなしい男子 ジョンジュン(イ・ボムス)とセックスのない同居をする.
来る男は拒まず, 去る男にはこだわらない果敢な彼女は、仕事もできて友人も多い、素敵な女性だ.
しかし、会社の仕事にかこつけて隠密に会おうというチーム長に明るく復讐した後、失業者となる.
気力を落とさずに創業を準備したが、‘一夜の失敗’で妊娠してしまう.だが, 堕胎せずに子供をひとりで育てあげると決心する.
30歳になれば、何かひとつでも明確に成し遂げたことがあるものだという期待とは違い、“家から独立するという目標を達成しただけで”会社ではどうにかこうにか4〜5年次になったが‘継続しなければならないだろうか’,
恋愛は次々破られるうえに, ひとつ,ふたつと増えるシワと白髪に胸が沈み始めて, 結婚はしなければならないという小言でお盆や正月が恐ろしくて,
サウナやマッサージ室に座っている時間がますます多くなり, 恋人と寝るべきかどうかなど、悩みも多く,
30歳を前にした29歳の姿をおしゃべりするように現実的に見せるという点で、この映画は一種の成長映画でもある.
10代にだけ人は成長するのではないから.

女性の生存法, 生き生きした台詞に込めて
シングルたちの姿を豊富にスケッチして、生き生きした台詞とりりしい 視線で描いたという点で<シングルス>は、若い世代と疎通するトレンディ映画だ.
それは、丁度この世代の女性であるメイン作家 ノ・ヘヨン氏の功でもある.
“遠い以前から30歳を前にした女性たちの話を作ってみたかった”というクォン・チルイン監督は、いち早く作品の原作である日本のTVミニシリーズ<29歳のクリスマス>(1995)の版権を買った.
2年間足踏みをし, 韓国の現実に合う日常として変革させる作業は、一歩遅れて合流したノ・ヘヨン氏のよどみない台詞に乗って急進展した.
失恋して少しも経たないうちに新しくデートを始めたナナンに“おなかが減ったからって何でもすぐには食べないでしょう.
誰かを忘れるためにいきなり新しい男と会うのは危険だよ”と話し, 結婚しなければならないのかと悩むと、“大韓民国に今足りないものは何だと思う?
まさにいい雄だよ.”と忠告するトンミの台詞は、友人の自炊の部屋に座っておしゃべりしていると、いつのまにか窓の外は明け方で、白々と明るくなる、丁度そのような風景だ.
結婚後の仕事と勉強に関する悩みも、彼女たちの対話ですると、このようになる.
“朝は適当にやっておいて、 夜に適当にサービスだけすれば、夫が学費をくれて、 お小遣いもくれる, そんなチャンスがどこにあるの.”(トンミ)
“ところが, 他人の手を借りて床を磨いたように気まずい感じ. 私が願ったことが一度にできるのに、何?, この妙な気分は….”(ナナン)
女子間での友情に焦点を合わせたことは、この映画のもう一つの面白味だ.
一人で子供を産むと決心したトンミに“人生をそのように無計画にしてはだめ. 今後、結婚は論外で、就職も恋愛もできないよ”と止めるが,
結局、子供を産もうとすると、“私がパパになってあげる”と、共に出産準備をするナナンの姿は、一抹の誇張はあっても虚構ではない.
苦痛の瞬間、女友達に心をさらけ出して、共に泣いた記憶があるこの同年配の女子たちにとっては.
クォン・チルイン監督は、“‘こういう恋愛をしたい’よりは、‘こういう友人たちと共にありたい’を見せた”と話す.
もちろん、このすっきりしたトレンディ映画では、女性たちが負っている大変な問題が、あまりにも簡単にクールに解決する. 性や妊娠,
男子との葛藤など、一つの主題に対して、もっとより深く語るべきだという惜しみが残ることも事実だ.
例えば、堕胎の代わりに未婚の母を選んだトンミが体験する困難を現実的に描いたら、映画はより暗くなってしまうかもしれないが,
自らのアイデアを奪って左遷させた上司に復讐することも現実ではよく起きるわけではない.
それは、部分的にはこの映画のあまりにも完壁な男子主人公たちのためでもある.
あなたはいまだに‘ファンタジー’を夢見るのか
映画に登場する2人の女のボーイフレンド ジョンジュンと、ナナンの恋人 スヒョク(キム・ジュヒョク)は、あまりにも完壁で非現実的だ.
恋人と別れてわあわあ泣きながら訪ねてきたナナンの話をすべて聞いてくれて, 忙しいトンミのために夕食を準備しておいて, “恋愛はおとなしい男子とだが,
結婚は金持ちの男子とする”という幼い恋人のために心を痛めながらも暴力的にならないし, いつも頼ることができるボーイフレンド
ジョンジュンは、ハリウッド映画の天使印のゲイをそのまま連れてきたようだ.
長くナナンを見守っていて、ある日、
話しかけた‘高級車に乗った王子様’スヒョクは、初めのうちはしつこくて魅力がないのだが、奥の深い真実の愛を見せるようになる.
女子が頭が痛いと言えば、“そんなクルマで迎えにくるのが自慢なの?”とどなられても、頭痛薬を渡して、ドアの前に静かに座って待ち、“自分自身がなにをできるのか知りたくて、いまは結婚出来ない”という言葉に文句も言わずに、“ぼくは待つのが得意なんだ”と明るく話してニューヨークへ旅立つ彼は、韓国で発見できる確率が0.00001%である‘女性たちのファンタジー’だ.
しかし、一年に数十編ずつあふれ出る韓国映画が男たちの義理か粗雑な笑いを前面に押し出したり、女子たちの主体的な性を語り、男性のファンタジーを腹話術で重ねてかぶせるという現実で、これくらい愛情のある眼で女性たちと対話する映画に会ったということは、明らかに嬉しいことだ.
パク・ミニ記者 minggu@hani.co.kr
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