[ 人の話 ] 2003年07月02日 第466号
清渓高架撤去で清渓川一帯がきれいになって、江北が息をふきかえし、ソウルが良くなると、言葉は多いが、まさにそこで生きていく人々に関しては特別な言及がない.
1982年から世運商店街の近くで納品業をしてきたイ・ウンソン(50)氏が、20年間の清渓川商売をたたんで、清渓川の人々と彼がしてきたことに関する話を収めた本<清渓川を離れて>(黄金の枝
編集出版)を出した.
写真/イ・ヨンホ記者
しばしば清渓川の人々といえば、清渓高架を中心に、鍾路・乙支路などで各種卸小売業・納品業に従事する彼らを指す.
イ氏の本に主に登場する清渓川の人々は、世運商店街の西方で企業を相手に納品をする.
イ氏が見る清渓川の人々は、“‘平均的’韓国の人々で、ホラは吹いても虚勢は張らない現実主義者であり、二進法の単純な論理で‘金儲け’という、絶対的な目標を成し遂げる”.
このような実用主義者たちが生きていく、汚くて狭い網の目のような清渓川の路地を支配する唯一の秩序は、‘金’だ.
イ氏は清渓川での金儲けがどんなものなのかを見せるために、納品営業の過程を詳細に明らかにした.
取引先の人々と‘謝礼’をめぐって繰り広げる禅問答, 書類上に表れたものよりもっと多くの利益を残す‘バックマージン’を見る方法,
計算書のすり合わせ方等、現場でだけ習うことができる大事な情報が、この本の中にそっくり収められた.
イ氏は、親戚が運営していた化学薬品納品店から始め、実験機器・工場自動化センサーのような機械類に至るまで、各種納品業をして、昨年、冷暖房機器を終え、清渓川で金持ちになる希望をたたんだという.
“私が清渓川でお金を儲けられなかったのは、恐らく‘清渓川人’と同じく現実的姿勢を観察して分析はしたのですが、実践が出来なかったためでしょう.
それで、この本は私の試行錯誤と失敗が表われた経験談とも言えます.”
イ氏は、“清渓川復元事業が終わったら、再開発もなされて賃貸料上昇に耐えられない商人たちはちりじりに散逸することになりますが,
その人たちの将来がどうなるのか、語る人が居なくて切ないですよ”としながら、“最も良いのは、きれいになった環境でそれまでの商人たちが継続して位置を占めて商売することかもしれませんが、どうやって思い通りになるでしょうか”と反問した.
イ・ジュヒョン記者 edigna@hani.co.kr
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