2003年6月ハンギョレ21 465号

愛しているよ, 清渓川の力!
[ 特集 ] 2003年06月26日 第465号

愛しているよ, 清渓川の力!
探査隊員たちと共に見て回った昼と夜… そこではなにが作られていて、どんな人が暮らすのか


7月1日には清渓高架道路が取り壊されるということで、 カメラのレンズが一斉に清渓川に向けられている.
清渓川, そこではなにが作られていて, どんなものが売られていて, どのような人々が暮らすのか. 清渓川探査隊員たちと共に、清渓川の昼と夜を見て回った.

最近、清渓路に行くと、カメラを下げた若者達をよく見かける.
7月1日には‘歴史の彼方’に消える清渓高架道路の最後の姿をのがさないために, ひとりで、または三々五々群れを成してあちらこちらでシャッターを切っている.
これまでは特別な関心を受けることがなかったコンクリート高架をはじめ、周辺の印刷工場, 工具商, 古本屋, 綢緞商店, 露天商などがモデルになっている.
30余年間、ソウル江北都心交通の大動脈だった清渓高架は、最後の吐息をつきながらも最後のサービスをするわけだ.

撤去直前、清渓高架一帯は有効期間が終わりに近づくほど価値が上がる、おかしな‘文化商品’になってしまった.


写真/7月1日, 30余年間、江北都心交通の大動脈だった清渓高架が取り壊される.

東平和商街のわびしい店たち

清渓川.
そこでなにが作られて、どんなものが売られていて、なにをする人々が暮らしているのかにカメラが群れるのか.
建築専門担当者で構成された都市建築ネットワーク, 都市を主題に作業してきた作家グループ フライングシティ, そして、文化改革のための市民連帯(以下 文化連帯).
三団体の活動家たちが“清渓川を正しくながめよう”とかたまった.
いや, ‘正しく見ること’が目標と言うのは正しくない. 彼らは‘見えるものを通して見えないことを見よう’と 叫んだのだ.

6月15日 明け方の2時30分.
眠らなくて赤い眼14(註:つまり7人)が東平和市場前で止まった.
フライングシティのジョン・ヨンソク, ウェブデザイナー パク・チャン, 文化連帯 キム・テヒョン幹事, 文化批評家 リュ・ジェホン, 都市建築ネットワーク活動家 シム・ハンビョル氏 等、‘清渓川探査隊員’たちは、この夜、すでに3時間以上も東大門一帯をくまなく見て廻った後であった.
夕方7時から店をあけて、それから翌日午後5時に店を閉める東平和商街は最も混雑していなければならない時間なのにかかわらず、閑静だった.
“不況なので、まったくおもしろくないですよ.” わびしい店を義務防衛戦次元で守っていた商人たちは疲れた顔で手を振った.
東平和市場‘4階代表’である パク・チュンソン氏は憂慮をさらけ出した.
“最盛期には6千万〜7千万ウォンだった権利金が、最近では1千万ウォンもしません.
撤去工事に入れば、より一層厳しくなって大事なんです.” 探査隊はパク氏に質問を浴びせ始めた.
いつこちらにきたのか, 服はどう作ってどう売るのか, 何時間仕事をするのか, 同じ階でも区画によって賃貸料が違う 等、執拗な質問にいちいち答えてくれたパク氏は、最後に“明日、清渓川一帯の商人たちの集会時にマイクを握って読む文”と、ボールペンで書かれた演説文をあらかじめ読んでみせてから差し出した.

地方から上がってくる卸売商たちが上得意である東平和市場とは違い、続いて立ち寄った清平和市場は、周辺商人たちが物を仕入れる卸売市場だ.
東平和市場が中年以上の年齢層のための服が多いならば、清平和市場は最近の流行に合う服が陳列台を埋めている.
明け方5時という早い時刻なのに、自身の店で売る服を選ぶために駆けつけた、化粧をきれいにした若い女性たちがたくさん目に付いた.
新しい服がぎっしり詰まったふろ敷包みを抱えてモーニングコーヒーを飲みながら一行を待っていたキム・某(32)さんは、“時間帯別で同じ服でも値段が変わって、店ごとに価格が違うので、 几帳面に見て回るべきだ”と話した.

東大門周辺の市場は、衣料品店であっても、営業時間が各々違う.
本来、卸売商たちのために明け方4時に開いた店は、通行禁止時間解除後、互いに競争を繰り広げて、少しずつ開店時間を繰りあげ、結局は前日の夕方に店をあける所が登場した. 皆一緒に若い女性の衣類を取り扱うが、清平和市場は明け方5時に開店する反面、アートプラザは前日7時から店をあける.

探査隊員たちは混み合う客の間に混ざって商人たちとインタビューをしなければならないのにできなくて、翌日を約束して出てきた.
市場の後ろの店でのヘジャンクッ(註:牛の内臓を辛く煮込んだスープ)で朝食の代わりにして、午後に会う約束をまた定めた.


写真/清渓路一帯で生業に従事する彼らは、清渓川復元が迷惑だ.

黄鶴洞を動かすエネルギー

午後4時.
週末には黄鶴洞が人気だ.
清渓川7街 蚤市場 屋台が集まっている道の要所に立った.
名品ブランドのハンドバッグからポルノビデオテープまで、ここにはないものがない.
道一本裏側には中古家電商店街が集まっている. 店には同じチャンネルに合せておいた数十台のテレビから数十本の野球バットが同時に数十回のスイングをしている.
白南準(註:ナムジュン・パイク)のビデオアートも、ひょっとしたら黄鶴洞でアイディアを得たのかもしれない.
これが、黄鶴洞を動かすエネルギーなのかと, 好奇心が湧いてくる.
1950年代に出てきた日本製鉄翼扇風機, くるくると指でダイヤルを回さなければいけない旧式電話機, 歯車がそのまま見えている時計等、‘骨董’家電機器でぎっしりのある商店は、入る時は幅は50pで,奥行きは深くて3m程になる、おかしな空間にはまりこんでいる.

ソウルに上がってきて、屋台商売, バラック商売を転々とする黄鶴洞で、10余年ぶりに巣を作っている骨董品店‘ゴクソン堂’主人 キム・グァンジャ氏は、民芸品ブームに助けられて大きな利益を得たケースだ.
純朴な故郷の人々に’ゴムたらい’を一抱えずつ与えて、その代価として背負い袋・水鉢・燭台のような質実な物を交換して利益を得た骨董品商たちが80年代長安坪に半強制移住させられ、その空席をキム氏が満たすことができた.
彼は木で作った水鉢を火で日焼けさせて古い感じを与えるように加工し、これを数千個ずつ売って元手を用意した.
キム氏がソウルに無計画に上京したのが、妻の姉との縁のためだったように、黄鶴洞一帯の骨董品店はキム氏の親・姻戚が皆その手に握っている程だ.


写真/清渓高架とともに近代化の象徴であるサミルアパートも再開発を控えている.


次の踏査地はサミルアパート.

1990年代に入り、再開発施工者として乗り出した東亜建設が外国為替危機で破綻し、代わりにロッテ建設が引き受けることになったそちらでは、既に相当数のアパートが崩されていた.
1969年、清渓川スラムが高架道路から見えないように‘屏風用’として建てられたサミルアパートは、既にその寿命を終えて、つぎはぎのコンクリートダミーとして残っている.
貧しい都心老人たちの憩いの場として使われた鉄骨キャビネット構造の‘老人ホーム’は、廃物として捨てられ, 住民たちが置いていった家具とゴミが積まれている.
サミルアパート前の蚤市場にずらりと並んで立っている布帳馬車(註:ポジャンマチャ.ビニールシートで覆われた屋台)ではホルモンで焼酎の杯を傾ける人々で一杯になったものだ.
突然ネズミが飛び出してきても驚かないようにしようと確かめ合ってサミルアパートの階段を上った.
燃料として煉炭に頼っていた30余年 前に建てられたアパートなのでそうなのか、内部空間が今と差が大きかった.
部屋と居間部分は床を20p程高くして、出入口と床に違いが生じるように作ってあった.
茶の間では、台所と通じるところにつやが出ていて, 茶の間と広間の間には明り取りを設けて互いにつながるようにした.
名前だけアパートだということができるが, 最近建てられるアパートと比較すると、内部構造はむしろむかしの韓式家屋と似ていた.


サミルアパートの‘おばあさん友達’


写真/‘清渓川の力’展 企画者たち.リュ・ジェホン,キム・テヒョン,キム・インジャ氏(左側から).


黄鶴洞だけでも十余回は通った熱血探査隊員シム・ハンビョル氏は、そちらに‘おばあさん友達’がいる. 一度ごとに100ウォンずつ払う有料トイレを管理するおばあさんだ.
シム氏が行く度に“何故、まだ髪を切らないのか”と言いながら、ぼさぼさに伸ばした髪の毛を指差して笑う人だ.
まだサミルアパートに暮らしているおばあさんは、シム氏が聞かなくても、“ここが再開発されたら、狭い賃貸アパートを出て、広い家に引越す”と何度も語った.
トイレ利用料で生計をたててきたおばあさんが、再開発後にどこへ行くというのだろうか, 相変らずシム氏は思い乱れる.

清渓川探査隊員にとって重要なことは、とにかくたくさん歩いてたくさん考えることだ.
しかし、より重要なことは、その地域に暮らす人々と話を交わして、彼らの日常に対する理解を深めることだ.
リュ・ジェホン氏は、“人工的な都市改編を全面に出さず、そこに暮らす人々の生を尊重することの方が重要だ”と強調する.
それで、‘対話’は写真や録音, 録画より、もっと立派な探査法になる.

去る5月初め、探査隊が組まれた後、10余回清渓川一帯を探査しながら、彼らはなによりも清渓川周辺で夢の内部の動力に惚れ込んだ.
“初めて行ってみた金属工場でものすごく驚きました.
針金を持って、機械で丸く巻いて手作業で熱処理をして、スプリングを 作っていましたよ.
メダルを作る工場も同じでした. 銅版で枠組を作って象眼彩色し、ヨーロッパなどに輸出するということでした.部品で満杯になった工場は、空間の浪費が全く無くて、密集と集積そのものでした.”
 
‘清渓川探査隊’は、市民が直接写真取材過程に参加して、清渓川のあちらこちらを撮って、それを作品として展示することができる機会を用意した.
探査隊が18〜24日、世運商店街前で一週間ブースを揃えて、市民たちと共に撮った写真が展示される.
オンライン上でも展示に参加できる(www.cgpower.net).
7月14〜20日、ソウル世運商店街5階中央ホールで開かれるオフライン展示会では“これまでソウル市が復元計画を推進しながら、一方的な交渉の対象だっただけで、対話のテーブルに招待を受けることができなかった” 清渓川の人々が主人公だ.
探査隊の指先に捉えられた清渓川の 肌は、これまで車窓の外にチラリと見通した清渓川の外貌とどれくらい違うだろうか.
‘清渓川の力’展は語ってくれるはずだ.
 

文 イ・ジュヒョン記者 edigna@hani.co.kr
写真 ジョン・ヨンイル記者/ スカイライフ yongil@hani.co.kr