2003年5月ハンギョレ21
461号
‘108講義室’をご存知でしょうか |
[ 人と社会 ] 2003年05月29日 第461号 ‘108講義室’をご存知でしょうか 80年代の郷愁が残った釜山大前の代表的 居酒屋… ‘叱言屋’教授さまの講義もうれしくて 釜山大学校には、夜になると授業が開かれる講義室がある. 数百もの講義室があるけれど、唯一、夜に学生達が集まるのだ. ほとんど毎日講義が開かれる‘108講義室’がそれだ. 講義室は学校の外にある. 108講義室は、釜山市 クムジョン区 ジャンジョン洞の釜山大前で、80年代の郷愁が残っている、何ということがない居酒屋中で最も代表的な所だ. “ねえ、こっちに来て, スプーンと箸を三つ持っていってよ.” 講義室に入ったら、学生であろうと職員であろうと、‘教授さま’的存在であるこの家の主人 キム・オクジャ(63)ハルモニ(註:おばあさん)の指示に従わなければならない. おつまみの皿を運ぶのも、学生達の役割だ. “料理ができたよ.こっちに取りに来て.” ハルモニと学生達の間の独特の紐帯感 ![]() 108講義室には、釜山大学校で大学院まで終えて, 時間講師としていろいろな学校を渡り歩く人文学専攻博士たちがたくさん出入りする. 最近は大学教授になるのが非常に難しいため, 特に、人文学専攻博士たちは不惑を控えた年齢でも、一ケ所に落ち着けず、行商人のように転々とするする場合が多い. そんな時間講師たちを見る時, ハルモニはまず叱言から始める. “さあ、こいつは, まだ女房から搾り取って生きているのか? 妻子もきちんと養えなくて, 何が博士だよ, 先生であれば良いってのかい?” ハルモニの過激な‘講義’を聞いても、‘学生’たちは、ただ“まいったなあ”と笑うのみだ. ハルモニ教授は、焼酎一杯呑んでいく息子ではない息子たちを見る度に胸に染みる. 教授は講義を聞く‘常連’学生たちの学番はもちろん、出身学科までまだ記憶している. “店に入ってくる姿を見るだけで, 最近の暮らし振りがどうかがひと目でわかる”という. 108講義室では、在学生と卒業生が盛り上がっている. 酒とご飯を出す店にしては、他のどこよりも豊かで深い人心が一役買った. 昔も今も、30坪を超える講義室はハルモニの独壇場だ. 新入生歓迎会や大きな行事がある時は100人程が来るが、それでも一人でみな解決する. ハルモニと学生達の間の独特の紐帯感のおかげで可能なのだ. 108講義室で会ったキム・ユギョム(釜山大 98学番)氏は、“学校に通っていた時も、同窓会やサークルの名所だったけれど、なんともいえない雰囲気で、度々来るようになりました”としながら、“最近の新人学番たちは、こういう雰囲気を嫌うのに、唯一108だけは例外のようです”と説明した. 18年前である1986年、ハルモニは苦しい状態で、小さな食堂のような屋台を釜山大前 クッパブ屋通りの片隅に開業した. そして、名分は店なのだが、名前をどうつけようかと悩んでいたある日、突然脳裏をかすめるものがあった. 当時、ハルモニの次女が釜山大 法科86学番として入学した. その初めての講義を聞いた所が108講義室で, それをそのまま居酒屋の名前にしようというアイデアだった. 居酒屋を開いた時、新人だった次女は既に立派な社会人になったが、ハルモニは相変らず講義室を守っている. 初めて店を開いた時は不許可だった. そのような状態で何年かの間、商売をしたのだが、その時期がハルモニにとっては格別な記憶として残っている. 店を開いた少し後からは、一日一日が薄氷を踏む思いだったためだ. ‘108講義室’という名前を可能にした次女が学生運動に加わってから困難が始まったのである. 情報課刑事の電話一本で、いつでも108講義室が滅びかねない状況だった. 不許可であり、どこにも哀訴できず、当時は心配が並大抵でなかった. “私たちの娘が学生運動で刑事に睨まれるようなことになったら, 不許可屋台は滅びるだけですよ. だからと言って、私が棒を持って娘がいるその‘ソリト’(サークル名)に行って, むりやりやめさせるわけにもいかないでしょう. 学生運動をやった者の父母たちは、刑務所に通うような苦労をしても、心をひとつにして耐え忍んだものですよ.”
おつまみ2千ウォン… 夜11時には必らず締切
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