[ 文化 ] 2003年03月28日 第452号
Stop War 文化の力を見せよう!
反戦の隊列から青年文化を掘り起こす文化芸術人たち…戦争の恐怖を洗う‘文化現状’としての位置を占めて

写真/‘心から心へと伝染する反戦ウイルス-マムマムウィルス’がキャッチフレーズのリレイ反戦コンサート.100%自発的になされた公演だ.
1970年代に小学校に通った子供が繰り返して見た悪夢は、おばけに追われるというものではなかった.
戦争だった.
また炸裂した‘6・25事変(註:朝鮮戦争のこと.6月25日に勃発)’.
恐怖はいつも具体的で全く同じだった.
‘傀儡軍’は大群で家に入り込む.
父親と母親, 兄と姉が捕えられたり、ひどい仕打ちをされる間、体がとりわけ小さかったその子供は、床下にもぐりこんで隠れていた.
息を潜めながらその子は、恐怖に真っ青になってしまう.
‘傀儡軍がわたしを探している, いつ捜し出すだろうか, ここは安全だろうか、これからどうしたらいいのだろうか.’
体験したこともない戦争であるだけに、学校やテレビで恐怖を植え付けられた子供は、このように息切れしながら目覚めたりした.
おとなになり、記者になった子供(註:著者のこと.以下同じ)は、いつのまにか悪夢を見なくなっただけでなく、自身がとんでもない恐怖にとらわれたという記憶さえすっかり忘れてしまった.
戦争の恐怖感に包まれていたあの日
写真/ミョンフィルム
シム・ジェミョン代表・イ・ウン監督夫婦が幼い娘と共に初めて市庁舎庁‘広場'に出てきた理由は?
平和を愛する人々と共に憂鬱な心情をなだめるためだったという.
子供がその悪夢をまた思い起こした直接的原因は、北朝鮮の核問題による危機説やブッシュのイラク侵攻ではない.
子供が初めて目撃した, 反戦の波を作った人々だった.
反戦を叫ぶ彼らは、一様に戦争の醜悪さと暴力性を言い, 内面には戦争に対する恐怖感があった.
反戦デモが集中的に開かれた3月22日, 現場で会った<ハンギョレ21> キム・ソヒ記者は、“信じられないことに,
二日もイラクの少女になって追いかけられる夢を見ました. ブッシュのせいで性欲さえ減退してしまいました”と、深刻な表情で話した.
ソウル
大学路のマロニエ公園で2度目に開かれた‘マムマムウイルス-反戦コンサート’の司会者(自身を"蝶々"というIDで紹介した女子大生)は、“空襲が始まった日、恐さで震えて、カップを二つも割ってしまいました”という.
ところが、子供はなにか妙な気運を感じた.
米国, ヨーロッパ, アジアのイスルラム国家などで行われる激烈な反戦デモに比べ、私たちのデモと集会は,
表面に表れた姿だけを見ると、平和で祝祭的な雰囲気を帯びている.
米国 サンフランシスコ
ゴールデンゲートブリッジで反戦を叫んで自ら命を絶ったアラブ系青年や、警察と激烈な体当りファイトを繰り広げる英国ロンドンの殺伐とした姿は見つけるのが難しい.
同じ日、市庁前で開かれた集会は、昨年6月のワールドカップ時のように騒々しい公演と歓呼が交差し,
無数の旗がはためいて、一杯になった宗廟公園集会では、若者達が大小のグループで集まって、演壇の先唱によってスローガンを叫んだ.
光化門まで連なったデモ行進も、やはり拮抗した緊張感よりは、妙な興奮が覆いかぶっていた.
赤い悪魔の波とろうそくの灯デモの脈をつなぐ、もう一つの大きな流れになっている気運のように感じられた.
自発性, 家族または恋人単位の参加, 持続性….
昨年とは異なる著しい特徴があるならば、‘宣伝扇動’が得意な文化芸術人の幅広い参加だ.
ふと、子供は、自身が生まれた1968年を思い起こした.
ヨーロッパ68革命前後で、世の中を支配したもう一つの波はヒッピーイズムで代弁される反抗的青年文化であった.
理念の世代ながらも硬い思考を拒否した若者達, 彼らの苦悩を、音楽で, 美術で,
映画であらわした、ロッカーたちとアバンギャルド芸術家たちとニューウェーブ映画作家たち.
たまたま‘マムマム ウイルス-反戦コンサート’を作りだした、前 ファン・シネバンド メンバー
ジョ・ユンソク氏の‘告白’は、耳にぐいっと入ってきた(インターネットでリレー文章を書くことにつながっている‘私が戦争に反対する理由’の最初の文だ).
“私は何故、戦争に反対するのか、私が好きな音楽家たちが戦争をしてはいけないと言う歌を作った. そして、私を解きほぐした映画.
<地獄の黙示録>で、戦争の狂気と恐怖, 矛盾をあまりにも生々しく感じ,
<シン・レッドライン>では‘願いは自分の生命だけ’というショーン・ペンの最後の台詞が、無意味に死んでいった兵士たちのくやしさに聞こえた.
戦争に対する私の考えは、結局私が見て聞いた映画や音楽を通して作られたものだった.”
過度に予断的だが, 子供は‘青年文化として燃え上がる反戦, その中心に立った文化芸術’という大袈裟な言葉で最近の流れを規定してみようとした.
そして、その痕跡を探し出した.
文化的反戦, その痕跡を探して

写真/ 設置美術家
チェ・ビョンス氏がバグダッド侵攻直前、その真ん中で繰広がることを描いた絵<野蛮の巣> (パク・スンファ記者)
その日、市庁前の集会で初めてマイクを握ったユ・インチョン氏は、“こんにちは, この場に集まられた多くの同志の皆様…”と話し始めた.
彼は、同志という言葉を何度も繰り返した.
まもなく、映画俳優 アン・ソンギ、ムン・ソリ氏が激しい語調で宣言文を読み上げた.
“犯罪になるはずだという教皇庁の警告にも、米国は戦争と暴力の道を選択した. 野蛮で、図々しくて、汚い侵略戦争だ.
ノ・ムヒョン大統領は、国益に符合するため、戦争を支持して派兵するという.
国益を優先したり、北朝鮮核問題と対等交換をするのは、決して道徳的ではない.”
ふたりの叫びが、“米国が行っている事を目を凝らして見届けよう”とか“政府の支持(註:米国への)を必ず中断させよう”という大きな課題に至っては襟首がしばらくひやりとした.
21日に大統領府前で派兵反対 1人デモ(参加連帯 進行)を繰り広げた映画俳優 パン・ウンジン氏も同じ語調であった.
“韓-米 間の同盟関係や北朝鮮核問題等、安保関係のために政府が押されるように戦争を支持して派兵しようということに対するせつなさからデモにたちました.
米国がどれほど自分の言葉を覆してきたか. 私たちも信義を前面に押し出してはいません.
事実、鼻先に控えた作品の準備のために気が気ではないですが、少しでも時間ができたら参加するつもりなんです.”
バン氏と同じように大統領府前 1人デモを繰り広げたシン・ヘチョル氏は、参加の動機を聞くと、少しの間あきれたような顔をし、“では,
これをやらなければ、なにをするんです”と叱るように話した.
シン氏が大統領選挙前にテレビでしたノ・ムヒョン候補支持演説は、かなり話題であった.
流暢なトークで大衆音楽界の雰囲気をあっという間に整理してくれた.
“我が国の音楽人には社会参加意識がないというのではなく、多様な弾圧に苦しめられてきたのです. 国民自らの弾圧もありました.
芸人として取扱いながら、おまえはなにを知っているのかと. デモをする学生達に、勉強しても何にもならないと言うこと全く同じく.
大衆芸術人が自分の中にある欲求を表出する職業特性の上、不特定多数を相手するのが上手ながらも、カメラの前で敏感な懸案に対して尋ねられれば口を閉じるようになったことも無理ありません.
人々が‘フナ’(lip sync 歌手)と呼ぶ彼らも、プライベートから見れば政治意識が高いですよ.
ところが、2, 3年だけでも演芸生活をすると、国民やマネジャーが‘口を慎め’と言います.
私はすき間仕事が多いから相対的に自由であるため、声をもう少し高めるべき義務感のようなものもあって….”
シン氏は、多くの大衆音楽人が一堂に集まって、戦争反対とイラク派兵反対記者会見を行うはずだといった.
誰かが組織的に準備するのとは違い、なりゆき式に引き継がれているのに、ポム・ヨルム・カウル・キョウルやジョン・イングォン等の中堅音楽人からアイドルスターたちまで、反応が非常に肯定的で速いという.
ロックバンドは23時間で数十チームが参加することになった程熱烈だという.
“今は、私たちの声をあげなければならない”
写真/メディアにアップされたブッシュ風刺漫画(左側).
<スターウォーズ エピソード2>に対して遠回しに言ったパロディ ポスター <ガルフウォーズ エピソード2>.
市庁前で会ったミョンフィルムのシム・ジェミョン代表とイ・ウン監督夫婦は、既に小学生になった娘と共に‘ストップ ウォー’(Stop
War)(だ)と描かれた印刷物を振っていた.
彼らはワールドカップの時も, ろうそくの灯デモの時にも訪れなかった広場に初めて出てきたのであった.
インターネット文化人集いカフェでお互いの‘憂鬱な心情’を吐露するように文句を言うだけではなく、集会に出て平和を望む人々と心情を通わせてみようと画家
イム・オクサン氏などと話を交わした後だった.
たまたま、黒いサングラスをかけたイム・オクサン氏がのそりのそりと‘徘徊’しているのが目についた.
イ・ウン監督は、25日に映画関係者会議があるのだが、映画関係者の反戦運動参加法案を正式に議論するはずだと言った.
人間の盾などとしてイラク現地で活動を繰り広げる彼らの中の相当数は文化芸術人だ.
‘パク・ギボムのイラク通信’で、インターネットのネチズン間で話題を集めた人間の盾パク・ギボム氏は童話作家で, ドキュメンタリー作家
ソン・ヘラン氏は人間の盾として活動してドキュメンタリー作業を併行している.
また、小説家 オ・スヨン氏は民族文学作家会議の‘派遣作家’としてイラクの現実を取材中だ.
設置美術家 チェ・ビョンス氏は、3月16〜17日にバグダッドの中心街 アル タフリル スクェア(解放広場)で、高さ6m, 幅8・4m
大型絵画<野蛮の巣>を前面に出し、人間の盾 ユ・ウンハ氏と一緒に反戦パフォーマンスを繰り広げた.
チェ氏は<ハンギョレ21>文化チームイ・ジュヒョン記者との電話通話で、
“バグダッド市民の表情は、既に慣れたように無心だったが、反戦デモを繰り広げるために来たと伝えると、商人たちが絵を描く道具をただで与えてくれた.
バスラで湾岸戦争時、放射能にさらされて苦労した子供たちを見て、とても胸が痛かったのだが、韓国に戻ったらこの子供たちを主題にした作品を作る”と話した.
最近の反戦の動きを一つの青年文化として見ることができるならば、主要な根拠は自発性だ. 上からの組織化ではなく、下で沸騰する‘異常熱気’だ. ‘マムマム
ウイルス-反戦コンサート’が模範的標本である.
20歳の文化企画者 ジェリー(パク・ジェシク)がカササギ(ジョ・ユンソク)という友人に送ったメールが始まりだった.
‘私が戦争に反対する理由’という短いメールだった.
メールをやりとりする数が5人に増えて,
各自の日常生活が終わる頃である夜の10時頃に集まった彼らは、関心ある周辺の人々を一名また一名とメールリストに招待した.
文化企画者, 文化評論家, ビデオ アーティスト, デザイナー, 展示企画者などが集まって‘心と心から伝染する反戦ウイルス-マムマム
ウイルス’が作られた.
戦争に反対する理由がその個人の経験によって違うのだが、その話に耳を傾ける小さなコンサートを作ろうということに意見を集約した.
別に予算があるはずがなく, 全力を尽くす実務者があるはずがない.
自発的参加につながる反戦コンサート

写真/ “銃の代わりにギターを, 作戦命令の代わりに歌を.”
22日、市庁前反戦集会に参加した歌手 アン・チファン, イ・ウンミ, チャン・サイク氏(左側から).
しかし、反戦コンサートは毎週土曜日の夕方8〜10時、大学路 マロニエ公園から成功的につながっている.
15日に開いた初めてのコンサートにはカン・サネ氏が出てきた.
もちろん‘ノーギャランティー’だ.
“2集ですから、94年に作った歌です. アーティストたちが環境問題とか根源的ながらも汎人類的な話をするのをよく見ますが、私はここであまりたくさん話さないように、素直な心で作った歌です. できれば、こういう歌を歌う時がなくなるべきなのですが、結局、今日この歌を歌うことになりました.”
‘ストップ ザ ウォー’が反復される反戦歌<これ以上 これよりは>を続けた.
29日には‘3号線バタフライ’が, 4月5日にはイ・サンウン、オオブバンドなどが出演する予定だ.
展示企画者 キム・ジュンギ氏は弘大前のカフェ"十月"で‘A4 反戦展示会’を準備している.
キュレーターが作家を選定し、作品を受けるのとは違い、メール発送を通して自発的参加を率いる方式だ.
作品は競売して反戦基金に付け加える計画だ.
公演企画者 ジュ・ホンミ氏は、同僚と酒を飲みながら、ふと、“60年代の反戦歌手
ボブ・ディランを招請し、反戦と平和を主題にした公演を開けないだろうか”という話を持ち出した.
作業は迅速になされて、直ちにボブ・ディランの応諾を取りつけ、公演は7月末に開く予定だ.
青年文化の収容者であり、実践者は普通の若者だ.
22日、宗廟公園集会場に作られた‘反戦市場’の主催者中の一名だったキム・ヘジン(19・ソウル女子大 1年)さんが、マムマム
ウイルスの反戦コンサートでは観客として公演を楽しんでいた.
ワールドカップの時、赤い悪魔で道に飛び出した後、‘面白味’がついて、ろうそくの灯デモで, 反戦集会で、参加を継続していた.
“インターネットのコンサート掲示板に行ったけど、通りを歩いて自分の意志を伝達できるキャップやTシャツを着てみたいのだけど、売っている所はないだろうかという質問を上げたところ、いっそのこと直接作って売って、着ようということに意見が集められました.
3〜4日で20余名で構成されたオフライン集いを作って、直接Tシャツを製作して売ることになったのですよ.”
学校のサークルや学生会で活動はしないのかと聞くと、“あまり組織的なことは負担になって、そういうことはしません”という.
ネチズンたちの間の熱い雰囲気は敢えて言及する必要がない程だ.
ただし, ネチズンが戦争に対して意見を表明する方式はパロディを通した冷やかしと面白味が圧倒的だ. こういう方法だ.
“(ソン・ガンホ バージョン) ぼろ負け そのまま ぼろ負け….
そして、石油カスを(ブッシュ)3代 皆呼んで… なすりつけ、ホースをのどに突っ込んで… 〜〜 ブッシュ 3代… ああ、熱い.”(ID
‘悲惨な戦争を避けて 子供たちを愛する ソン・ガンホ歌’)
新しい文化を率いる契機になるだろうか
ネットメディアによる、‘米国がイラクを攻撃するもっとも大きい理由’を聞く設問に8万余人が応答した.
石油利権確保に67%が同意し、圧倒的に1位を占めた.
国際社会覇権維持に14.5%が, 米国軍需産業保護に7.7%が同意した.
テロ支援勢力と大量殺傷武器除去とイラクに民主政府樹立という項目の応答者は、各々7.9%と1.7%程度に過ぎなかった.
反戦の動きを青年文化としてみなすには無理がある.
しかし、‘こういう方法の雰囲気がつながって、どんな文化を成し遂げるだろうか…’という想像を、悪夢に苦しめられたその子供はしてみる.
今の子供たちは、少なくとも、とんでもない恐怖感が消えた世の中を見ることができないのだろうか.
文 イ・ソンオク記者 lewook@hani.co.kr
写真 リュ・ウジョン wjryu@orgio.net
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