2003年2月ハンギョレ21 446号

暴力的な‘裸芸術’?
アラキ展熱気に反旗を翻した若いフェミニストたち
[ 文化 ] 2003年02月13日 第446号

暴力的な‘裸芸術’?
アラキ展熱気に反旗を翻した若いフェミニストたち… 暴力を込めた芸術は芸術をとりつくろった暴力なのか

写真/日本の写真作家アラキの展示会場前でデモを繰り広げる若いフェミニスト美術家たち.
女性卑下に対する反発であり, 高級芸術の偽善性を指摘する動きとして注目されている.

猥褻と獵色論争を呼び起こし、表現と検閲問題を提起した日本の写真作家 アラキ ノブヨシ(荒木経惟)氏(62)が、今度は若いフェミニストたちの非難に直面した.

2月5日、アラキの展示‘小説 ソウル, 物語 東京’が開かれているソウル 鍾路区 光化門 イルミン美術館.
美術館前ではアラキ展に反対する女性美術人たちのピケデモが行われた.
この日は、ペ・ギソン、ジョン・ビョング、キム・ソンホ、ジョン・ボムグ、カン・シン・ソンイルなど、文化観光委所属 国会議員5人が美術館の招請を受けて展示を観覧しようと来た日だった.
デモ隊はこの訪問に抗議し、“反女性的な写真で問題になってきたアラキ展示を平然と公式訪問した彼らの行為は、韓国の女性人権水準を赤裸々に見せている”という内容のビラを観覧客と道行く人に配った.
また、展示を観覧した議員と会い、アラキ作品が含んでいる男性的暴力に対して討論を繰り広げることもした.


女性主義的定規で眺めたアラキ

この日、デモを主導した人々は、美大に在学中である キム・ソユン(23)、キム・スヨン(22)、キム・テヨン(22)、イム・スヨン(24)氏 等で、月経フェスティバルなど、女性主義を中心にした展示・行事などに参加してきた.
彼女たちがアラキを批判する要旨は、女性に対する露骨な暴力を正当化しているということだ.

写真/アラキ作品は‘女性に対する露骨な暴力を正当化する男性の性的ファンタジー’なのか, ‘からだに対する両極端的な善悪の区分間に食い込んだ美学’なのか.

“アラキのモデルになった女性たちは、裸で綱が肌が裂けそうに縛られて、無表情な顔で観客を凝視しています.
これはセクシーさを強調する男性の性的ファンタジー中の女性であるというだけです.”

昨年11月からインターネットと電子メールなどを通して、アラキ展示に初めて問題を提起したキム・ソユン氏は、“美術館ではなく、インターネットや道で展示をしたら、ポルノだと烙印を押される作品が, アラキという名前の権威とイルミン美術館の巨大ギャラリーの力を背負って芸術として振舞っている. こういう思わしくない展示会が3ケ月以上も光化門の真ん中で開かれるということに対して、誰も問題を提起しないで沈黙するのは, 無批判的な言論の称賛のせいだ”と、メディアに対しても刃を向けた.

昨年11月に開幕し、2月23日まで開かれるアラキ展示会は、韓国で開かれる彼の初の個展で、言論の爆発的関心を受けた.
作家が来韓した昨年11月30日には、アラキファンを自認する人気歌手 サイが美術館で献呈公演を繰り広げたりもした.
展示の性格上、学生団体観覧が不可能な展示会なのにもかかわらず、これまで2万名を超える観覧客が展示場を訪れる等、興行でも良い成績をおさめた.

アラキ展示に反対するフェミニストたちは、このようなあらゆる状況が男性中心的な美術界の問題だと見て, 対案的展示を通して論争の構図を作り上げようという計画だ.
2月20日〜3月2日に、弘大前カフェ‘十月(シウォル)’で、‘アンチ アラキ展’という名前で開く展示会のテーマは‘女性の視線で眺めた女性のからだ’.
これまで、美術史で男性作家が女性モデルを眺めた視線を覆し, カフェ全体が女性的空間になるようにキルト・工芸作品などの小品を利用して、女性の日常を表現する.
それに付け加えて、アラキの写真を観覧する人々を収めた映像物を披露 し、美術館という制度の中で観覧客が作品を受け入れる方式に対しても問いただす(www.feministart.co.kr).


健康な風土の傍証… 道徳主義神話指摘も

写真/アラキ展示会を訪れた文化観光委 所属 国会議員たち.

それなら、これまでアラキ展示会に対して好意的だった我国の美術界が‘アンチ アラキ展’を眺める目はどうだろうか.
一旦はひと声でアラキを賞賛した美術界に波紋を投げた若い美術人たちの行動に対しては肯定的だ.

写真作家 パク・ヨンスク氏は、“フェミニズムの見解では、展示会に対して激怒し得る. 憤怒を展示という形式で表出する行動は、生きているという証拠ではないだろうか”と話した.
イルミン美術館側も、“論議がおきたということが、むしろ、健康な風土を傍証するものだ”という雰囲気だ.

だが、彼らの批判の基礎になる定規がどれくらい適合しているかについては論議がおきた.

展示企画者 イ・ソブ氏は、“本来、芸術的表現は誇張を前提とする.
したがって、誇張する形式と誇張された内容が何を指向するのかが正確だったり適切だったかを正すことが批評の始まりだ. 性器を露骨に表現したとか、女性が虐待を受けている状況を見せるとかという、極端な表現だけを非難することではない.
アラキは本来、美術館の貴族的性格を巧妙に利用することができる愉快なポストモダニストだ. アラキをフェミニズムからながめることはあっても、事実 フェミニズムとは全く‘関係ない’作家だ”と指摘した.

美術評論家 キム・ホンヒ氏も、“イメージ分析から批評が始まらなければならない”と提案した.
イメージを処理した方法, 写真を撮るために演出したセッティング方法に対する美学的接近をしなければならない. 仮に、女性に対する暴力を素材としたという点から、作品がそのまま暴力だと主張すれば, これは感情的で表皮的な接近でしかないという指摘だ.

若いフェミニストたちの見解が道徳主義の神話を繰り返しているという批判もある.
美術評論家 パク・シニ氏は、“変態的な作品を見たからといって、皆が変態になるのではない. むしろ、終わりまで行く極端な欲望を通して、欲望の本質を悟る.
個人的にはアラキ作品は情操的に合わない.
だが、彼の作品には、日本文化を理解するコードの核心が含まれていて, からだに対する両極端的善悪の区分間にある隙間と隙間の間の欲望と多様性が表現されている. これに対して道徳主義的定規だけを当ててはならない”と強調した.

だが、‘アンチ アラキ展’が何より興味深いことは、アラキを非難した主体が若いフェミニスト美術人たちだという点だ.
これまで、日本をはじめとして、外国でアラキに石を投げたのは検閲道具を握った検・警察であったり、右派的な保守地域社会であった.


私達の社会の二重定規を皮肉る試み

ある女性観客は、“これまで、私達の社会で芸術作品に加えた検閲の横暴と比較してみる時、アラキ展示会は非常に寛大な扱いを受けた. 美術館で行われる高級芸術という甘い糖衣がかけられなくては不可能なことだ. ‘アンチ アラキ展’は、こういう社会に対する皮肉, 亀裂だと考える”と話した.

また、一方には、アラキの作品を受け入れる私達の社会の態度と、これに対抗するフェミニストの声を通し、私達の社会の錯綜した論争の地形図が表れてもいる.
芸術という理由で検閲官は沈黙して, 暴力であるとしてフェミニストたちは反発する、‘ビビンパ(註:混ぜご飯)’のような現実の話だ.


イ・ジュヒョン記者 edigna@hani.co.kr