2001年10月ハンギョレ21
432号
ワールドカップ神話が暮れていく |
[ 問題追跡 ] 2002年10月31日 第432号 ワールドカップ神話が暮れていく ヨーロッパへ出発したパク・ハンソ 前サッカー代表チーム監督… 外圧にまきこまれて競技力向上は意欲も出せないまま ![]() パク・ハンソ 前サッカー代表チーム監督が、去る10月21日、ヨーロッパへ出国した. 当分ドイツ ケルンに留まって、オランダ エイントホフベンのヒディンク監督, フィム・ベイベック コーチと再会する予定だという. 一時、ヒディンク監督と共に韓国サッカーの‘ワールドカップ4強神話’を創造したパク 前監督は、そのように韓国を離れた. ワールドカップを控えて代表チームを調練する現場には、いつもパク・ハンソ コーチの怒声が轟いていた. ヒディンク監督とゲームを楽しんで, 体力訓練の途中には選手たちと一緒になっていたずらを楽しむ、そんな選手たちを督励する悪役も彼の役割だった. 韓国とは異なるヨーロッパ式サッカー文化を伝授するヒディンク監督の指導方針に拒否感を感じる選手たちを軽く叩くのが、まさにパク・ハンソ コーチの役割だった. あまりにも濃厚にたれ込めたヒディンクの影 しかし、パク・ハンソ監督はヒディンク監督の影が残る代表チームを引き受けながら、彼の人生最大の試練を体験した. 去る8月末、代表チーム監督を引き受けた彼に与えられた時間は、一ケ月余りの期間しかなかった. ワールドカップ4強をなした戦力のアジア競技大会優勝程度は‘浅瀬を泳ぐ(註:ひどく容易)’という見方が一般的であった. さらに、ヒディンク監督に見せた全幅的支援と信頼は期待するのが難しかった. ![]() 写真/去る9月12日 パク 前監督懲戒問題議論のために開かれた大韓サッカー協会常任理事会.(ハンギョレ ファン・ソクジュ) 彼の監督生活は協会と葛藤しながら開始時から順調ではなかった. 去る9月初め、代表監督デビュー戦である南北親善サッカー競技を控えて、ヒディンク監督のベンチ着席可否について協会と不穏な関係を形成した. ベンチに誰を座らせるのかという問題は監督の全権だ. パジュトレーニングセンターで訓練の途中、パク・ハンソ監督はヒディンク監督の着席可否に関して、“そのような話は全く聞いたことがない”と不満をあらわにした. むしろ、ヒディンク監督がパジュトレーニングセンターを訪れて、冗談のように“ベンチに座っても追い出さないか”と了解を求め, パク監督は“ヒディンク監督ならばいつでも良い”と笑って答えた. パク監督は後に、“ヒディンク監督を尊敬する気持ちには変わることがないけれど、協会が基本的な手順を無視した”と、残念な感情をさらけ出した. 南北サッカーで前半45分間、パク監督とヒディンク監督は同じベンチに座っていながらただの一言の対話もしなかった. 一時は同僚であり、恩師として、隔意のない間だったが、サッカー協会の一方的なやりかたで、いつのまにか難しい関係になってしまった. また、青少年代表と水害民救済慈善試合を控えて、協会と契約遅延に関してパク監督が不満を爆発させるに至った. パク監督は、“協会と年俸に関する見解の差を縮められなくて、アジア競技大会を終えるまで正式契約を先送りすることにした”としながら、“その時まで無報酬で仕事をする”と明らかにした. 技術委員会は、パク監督の不満表出に対して厳重書面警告措置をした. 相次いだ不協和音でゲームに集中出来なかったパク監督が、アジア競技大会優勝に失敗したのは、どちらかといえば、予定された手順だった. パク監督は4強戦でイランとPKの末に敗れた後、インタビューで“決勝進出に失敗したことは、監督である私の誤ち”と、監督の責任を強調しながら、“かろうじて3週間で準備した. ワールドカップと比較するのは無理”と明らかにした. しかし、パク監督は様々な理由を出さないまま、戦術不在と選手団掌握力不在の責任をとって途中下車した. 技術委員会が更迭を決定した後、パク 監督は“決定を尊重する”と言いながらも“監督赴任初期から、指導方法や各種支援など、色々な状況で障害があったし、結局更迭につながるに違いないという気がした”としながら協会に対する不満を間接的に表明した. 予定された途中下車…試練はこれからだ ヒディンク監督は、最近日本のスポーツ雑誌<ナンバー>のインタビューで“勝利を得ることよりも守ることがより 難しい”としながら、“韓国はホームの利点が明らかにあった. 赤い悪魔で代表された韓国民の途方もない声援がドイツ大会でも威力を発揮することを期待することは難しい”と現実を認めた. 彼は“近い将来、韓国サッカーが試練を体験するようになる”と展望している. 期待値は高く、与えられた時間と権限は少ない、ヒディンク以後のサッカー代表チーム体制. パク・ハンソ監督は外圧が多い過渡期に代表チームを預かって、その力を一度も使うこともできなくて崩れたのだ. イ・チャンヨン記者/ ハンギョレ スポーツレジャー部 lcy100@hani.co.kr
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