2002年5月ハンギョレ21 409号

日本のバンドが統一を歌う
[ 動く世界 ] 2002年05月15日 第409号

日本のバンドが統一を歌う

政治的意味合いによって発売中止になった日本のグループ フォークルの<イムジン河>、 CDで再発行

写真/<イムジン河>を歌ったグループ フォークルの全盛期だった1968年の姿.<帰ってきた酔っ払い>という曲が大ヒットした.

ミョンフィルムのシム・ジェミョン社長は去る5月9日、日本<朝日新聞>のインタビューで, 映画<共同警備区域JSA>が香港とは違い、日本でヒットすることができたのは、日本の観客が南北分断の現実をよく理解していたためだと語った.
日本は韓国から最も近い国であるため, 私たち民族の悲劇を共感する人が多いようだとも.
そうだ.
だが、単に近い国だという理由だけで、多くの日本の人々が南北分断の悲劇に共感したのだろうか.

垣根を越えて聞こえる歌に呆然として

写真/フォークルのアルバムジャケット.平和を祈願するイムジン河の水が南と北だけでなく, 全世界に流れ込むことを希望するという意味を含んでいる.

最近、日本では韓半島の統一を歌ったが発売中止になっていた曲が34年ぶりにCDで再発売になった.
限りない誠実さを見ても、南北分断への共感が単純な偶然ではないことをわからせる.
30余年の歳月を経て、今回また陽の光を見ることになった曲は、南北分断の悲劇と韓半島統一の念願を歌った<イムジン河>.

1968年、シングルレコードで発売しようとしたが, 政治的問題の火種になるかもしれないという判断で, 発売直前に発売中止措置が下された曲だ.
今回再発売されたイムジン河を歌ったグループは、1968年当時、‘日本のビートルズ’とまで呼ばれた大学生3人組フォークソンググループ‘ザ・フォーククルセダーズ’(フォークル・the Folk Crusaders)だ.
十字軍戦士や改革運動家という意味を内包している.

彼らグループにこの曲を初めて紹介した人は、日本語歌詞を書いた松山 猛.
彼が中学校の時, 在日僑胞(註:在日コリアン)の学生達と日本人の学生達が毎日もめてばかりいることがせつなくて, 喧嘩の代わりにサッカー試合をしてみてはどうかという提案をしようと、京都 銀閣寺附近にある僑胞学校に行ったとき、この曲を初めて聞いたという.

サッカー試合提案に対してOKを受けて出てくる途中に, 僑胞学校の垣根の向こうで何人かの女学生たちが歌っていた<イムジン河>のメロディに、彼は呆然としてしまったという.

当時、学校バンド部だった彼は、直ちにトランペットを持って, いつも練習していた長い橋に上がり、その曲を吹いてみたが、そのまま再現することができなかった.
その時、映画のようなことが起きる.
やはり、橋の反対側でサキソホンを演奏していた在日僑胞学生に会うことになるのだが, 彼はやはり練習場所に来ていた僑胞学校学生だった.
松山はその学生から<イムジン河>の曲と歌詞を習った.

<イムジン河>は、松山を通して彼の友人であるフォークルの加藤に伝えられた.
グループ フォークルは、その曲が新民謡程度のものだと考え、元来の作詞者や作曲者に関して神経を使わないで、そのままレコード化しようとしたのだが、問題が生まれてしまった.
総連側から、元曲<リムジンガン>の作詞者と作曲者が厳格にあるのに, それを明記せずにそのままレコード化することに対して異議を提起されたためだ.
結局、レコードを発売しようとしていた東芝レコード社は、この問題が政治的な問題にまで広がることを憂慮して、発売中止措置を下してしまった.

元曲<リムジンガン>は、1953年頃、北朝鮮で作られた.
この曲を作詞したのは、1920, 30年代 頃<サンジェビ>などの詩集を出したことがある詩人 パク・セヨンだ.
朝鮮戦争直後に作った曲は、グループ フォークルが歌った歌よりも内容がはるかに荒っぽい.
歌詞1節はグループ フォークルの歌詞とはほとんど差がないが, 2節に移ると、曲は突然、宣伝文句化するのみだ.
美しくて敍情的に分断の悲しみを歌った1節も、終わり部分に達するやはり荒い.
“イムジン河 澄んだ水は南北を行き来して流れ込み, 水鳥もやはり南と北を自由に行き来するけれど, 人々はなぜ行きたくても行けないのか”を歌った曲は“リムジンガンの流れよ 怨念を込めて流れるのか”で終わりを結ぶ.
だが、フォークル版は、“イムジン河よ 空遠く虹をかけてあげようよ… イムジン河 澄んだ水 流れるよ”に変わった.

‘怨念’をイムジン河に流す代わりに, ‘虹’をイムジン河にかけてくれと頼んだのである.
曲も差が出ている.
ジョ・チョンミの独唱曲集に載った曲は荘重な歌曲風だが, フォークル版イムジン河はとても軽快なフォーク系列の曲であり、当時の若者達の趣向によく合ったようだ.

イムジン河は、その後発売中止になったにもかかわらず、絶えずコンサートなどで歌われてきた.
都はるみをはじめ、日本で今でも相変らず人気を呼んでいるグループ サザンオールスターズの桑田啓祐, 沖縄の歌手 RIKKIなどが粘り強く歌い起こしたのである.

88年には、<フジテレビ>の‘放送禁止歌謡’番組から特集へ扱われることもあったが, 98年には放送禁止が解禁になった.
昨年末には、歌手 キム・ヨンジャが、日本歌謡紅白戦(註:「紅白歌合戦」)で日・韓ワールドカップサッカーの成功を祈願しながら、吉岡 修尿氏バージョンの<イムジン河>を歌うこともあった.

68年のメッセージから, 変わったことはない

写真/北朝鮮歌曲 <リムジンガン>を歌ったジョ・チョンミの独唱全集ジャケット写真.フォークルの歌とは違い、荘重な雰囲気を帯びている.

ヤフージャパンで検索すれば、600を超えるイムジン河関連サイトがある.
こういう烈火のようなファンたちのCD発売要求に、アゲント・コンシフィオ 社は、難しい著作権問題を解決し, ついに今春フォークルの68年度版<イムジン河>をCDで再発売し遂げた.
今回発売されたCD <イムジン河>を歌ったグループ フォークルは、加藤和彦, 北山 修(註:原文は北村だが、これは誤り), はしだのりひこ の3人で構成された大学生フォークソング グループだ.
活動期間は1968年のただ1年だけだった.
アマチュア時期、卒業記念で製作した 自費製作レコード<ハレンチ>に収録にされた‘帰ってきた酔っ払い’という 曲が大ヒットをすると、これをメジャーレコード社で商業レコード化したのだが, 72年になってもシングルレコード販売1位を続ける程、当時の人気は途方もなかった.
‘帰ってきた酔っ払い’に続いて発売される予定だった2枚目のシングル<イムジン河>が発売中止になると、当時のファンたちの間では, フォークルのもう一つの曲‘悲しくてやりきれない’という曲は、フォークルの加藤が自暴自棄の心情で<イムジン河>のテープを逆回転して、その旋律を土台に作った 曲ではないかといううわさまで出回る程だった.

ベトナム戦反対と自由を歌ったフォークソングが大きく流行した68年の日本.
<イムジン河>という歌も、その同じ、当時の平和と希望のメッセージを込めた曲だと言える.
発売中止から再発売になるまで、何と30余年の歳月が流れたが, 韓半島の分断状態はそれほど変わってはいない.
平和と希望を歌った当時のメッセージがいまだに有効だという事実に心が重くなる.

東京=文・写真 シン・ミョンジク mjshin59@hotmail.com