2001年10月ハンギョレ21 381号

‘正統ロック’の夢は続く-シナウィの1000回目公演
[ 文化 ] 2001年10月24日 第381号


‘正統ロック’の夢は続く
シナウィの1000回目公演大記録 “流行は変わっても、わたしたちは根本に回帰する”




写真/ さる20日、延世大大講堂で開かれた1000回目公演は、シナウィの底力と生命力を見せてくれた.


4名の主人公は、お互いの目をみつめた.
すし詰めの客席が急に静かになった. 観客が公演を楽しむ気持ちの準備をして息を殺す瞬間, シナウィのメンバーは同時に身をひるがえして演奏を始めた. 同時に、聴衆の予想より一拍子早く溢れでた激烈な電子音が、あっという間に公演場をぐるぐると取り巻いた. グループ シナウィの公演が始まる瞬間だった.

さる10月20日、ソウル延世大大講堂ステージに上がったシナウィは、普段公演場で見せてくれた姿そのままであった. しかし、今回の公演の意味は、これまでしてきた公演とはずぶん異なった. この日は、シナウィの‘1000回目公演’だった. さる1983年、ギタリスト シン・デチョル, ボーカル キム・ジョンソ などが集まってシナウィが誕生して以後、18年間の歳月の中で培われた大記録だった.



意味深長な <2頭の豚>

この日の公演は、3年ぶりにアルバム8集を出して、初めて用意したものだった. シナウィの単独公演としても、ほとんど1年ぶりだった.
公演を始めて最初の曲は、新しいアルバムでも初めの曲として収録された<2頭の豚>だった. そして、その歌詞は、いとも意味深長だった.

“腐り果てた順序, あやふやにされる操作… 捨ててしまった良心, 豚のような待遇, 私は1位で, 摸倣の勝利….”

常識と実力が通じない今の大衆音楽界のスターシステムに対する冷笑が歌詞にそのまま表れる<2頭の豚>を作曲して収録した. また、この日、オープニング曲として選んだのは、まさに最近のシナウィの心境を代弁することだった.

シナウィ. 数多くの歌手とグループが明滅した韓国大衆音楽史で、人気の可否を離れてその名前だけで存在価値をもつ大物バンドだ.
それは、シナウィが18年という長い間の歳月を持ちこたえてきたためだけではない. 韓国で最初にヘビーメタルレコードを出したバンド, それで少数だけのアンダー音楽だったヘビーメタルを大衆歌謡の一部門として初めて編入させたのが、まさにシナウィだ.
音楽的成果にもシナウィの位相は明らかだ. 特に2集アルバムは、大衆音楽音楽評論家の誰もが選ぶ名盤のひとつだ.

しかし、シナウィという名前に重さが乗る重要な理由は、シナウィが実力派ロック ミュージシャンたちの養成所だったという点だ.
キム・ジョンソとイム・ジェボム, カン・ギヨンとキム・ソンホン, キム・パダ, そして、除くことのできないソテジまで、皆シナウィで音楽的成熟期を送った.

何より恐ろしいことは、彼らの生命力だ.
さる91年、解体する痛みを体験しても、3年後にまた結成される等、底力が目立つ. 80年代中盤、共に出発した数多くのバンドたち, バクィジャグクとアシアナ, ペクトゥサン, 外人部隊とカリスマ等、その多かったバンドたちが皆消えた今, シナウィは80年代ロック界最後の‘生存者’であり、2000年代ロック界の末兄だ.

しかし、今、歌謡界の流れからみる時、彼らの存在はまさに‘生存’それ自体が意味ある程だ. このように、長い間の年輪と音楽的比重を持った長寿バンドは、かたや、アンダーグラウンドの盟主でもある.
いまだにシナウィが何万枚ものアルバム販売高を狙う力をもっているにしても, 自ら音楽を演奏するバンドよりは作られた歌手を好む最近の歌謡界の風土中にあっては異質物に値する. そして、シナウィのこのような境遇は、ほとんど絶滅の危機に瀕した韓国ロックの現実をそのまま反映している. <2頭の豚>の歌詞に含まれている憤怒は、まさにそのような現実と妥協出来ない自尊心や自らを慰安する絶叫だ.


原形的なロック音楽に固執

写真/ リハーサル中のシナウィのメンバー. 辺方のジャンルであるロックを共に守る同僚のかたまりだ.

公演を控えて、仕上げのリハーサルが真っさかりだったさる17日. 彼らは公演を前にして浮き立った期待感と共に、現実に対する挫折感が妙に噛み合っていた.

“シナウィという名前が持つ意味ですか? 韓国ではそのようなことは重要ではありません. 見栄えがする看板ですよ.”

リーダー シン・デチョル(34)氏の 語り口は自嘲的なほどだった. ドラマー シン・ドンヒョン(31), ベーシスト キム・ギョンウォン(28), そして ボーカル キム・ヨン(25)氏 等、ヒケをとらない年齢の他のメンバーも、やはり同じであった. たとえ公演場では堂々としていて力があふれても、ステージを降りた後から、そして生の中で、彼らが感じる感情は苦痛なものがはるかに多いためだ.

“ロック音楽をするやりがいというか, そのようなものを感じてから、ずいぶん長く経ちました. わたしたちは、ただロック音楽が好きで、それで、この音楽をずっとしているのに、誰も認めない. しかも、このように要求するのですよ. ‘世の中がこうだから、君達は合わせろ’と.”

事実、変わったのは世の中だ.
彼らは初めてロックバンドを始めたその時期そのままに、いままで生きてきただけだ. ロッカーとしての外貌も、今の観点からみれば、髪の長い平凡な大学生のように、素朴だと見られる程だ. ありったけの色で染色して、きらめく衣装を総動員する最近の他の歌手たち, そして路上でしばしば会うけばけばしい色使いの若者達と比較すると、あまりにも物静かだった.
そして、このような現象は音楽でも同じだ. クロスオーバーやフュージョンだとかという新しい試みよりは、基本的で原形的なロック音楽に固執しているのだ. それが陳腐に見えるならば、止むを得ないことだとしても.

それで、シナウィが願うことは、ロックという音楽とロックバンドをそのままに見てくれということだけだ. あまりにも当然なこの要求が通じないということが問題だ.

“制度圏(空中波放送)に行くこともできず, 行こうとすると、まさに髪を刈りなさいという、音楽とは関係ない要求をして…, そのようなものを見れば、今本当に21世紀を迎えたのか疑わしいですよ.”


オルタナティブを試みたが、またハードロックに

大衆音楽界の人々はあまりにも要領よく, 流行はあまりにも速く変わる. だが、シナウィはそうはできず, そうすることもしない. 彼らはむしろ、より根本に回帰している. バカのように見えても、それがロックをする天性だという.
新しいアルバムは、正統ロックを指向する. 1970年代ハードロックは、いまだに彼らにとっては模範だ. 一時、変わる世相を追ってオルタナティブ音楽を試みることもしたが、結局、シナウィはハードロックに戻ってきた. この過程を通じて、彼らの進路が‘伝統性’によるということを悟ったという.

“わたしたちはそのように要領よく生きられません. わたしが考えても、ちょっと愚鈍ですし, 落伍者でしょう.”

韓国大衆音楽史にその名前を明確に残すバンドが、自らを落伍者だなどと.

“事実ですから. そのような考えを音楽を作りながら克服すればいいのです.”

 新しい歌 <落伍者の夢>は、まさにそのように作られた.
“過去にすがったまま哀願するな, 汚い習慣のように”という歌詞のように, 彼らは過去は忘れたようだった.

いつのまにか、公演は二時間近く進行していた. そして、合間にシナウィの公演であるゆえに可能な場面もあった. カン・ギヨン, ソン・ソンフン, キム・パダ 等、シナウィが輩出したロッカーたちが、この日、共にステージに上がったのだ. そして、彼らの後に続いてシナウィを継続している現メンバーたちは、先輩たちが叫んだ<大きくラジオを鳴らせ> などの過去のヒット曲で和答した.

公演前のインタビューで傷心を示した彼らは、いつそのような話をしたのかと思わせるほど、ステージ上で最後のエネルギーまで燃焼させていた.
いつもそうであるように、ロックの魅力は、結局、公演現場でだけ感じることができるのだ. 増幅された電子音が心拍数を高め、その上昇感, それはステージ上の演奏者や聞いている聴衆も同じだ. それで、シナウィと彼らのファンは、ライブステージで会ってきたのだ.
今後も会い続けることは容易には中断されないだろう. いままで、1000回も会ってきたように.


文 ク・ボンジュン記者 bonbon@hani.co.kr
写真 イ・ジョンヨン記者 lee312@hani.co.kr