2001年3月ハンギョレ21 351号

[文化] オールドファン, 本当のファン!

[ 文化 ] 2001年03月20日 第351号

山河がうつろっても、相変らず一人の歌手だけを追うオッパ(註:女性が年上の男性に呼びかけるよびかた「お兄さん」)部隊第1世代, 彼らの続く熱狂 

写真/'長く続く熱情'. 3月16日、コンサート場で ジョン・インクォン氏と共にしたドゥルグックァ ファンたち.

3月16日夕方七時半から、慶煕大 平和の殿堂で開かれた‘分けあおう 2001’ コンサート. ヨヘンスケッチとジャウリムの歌に続き、いよいよドゥルグックァが登場した. 熱い拍手の音と共に観客の歓声があちらこちらで湧いた. “ドゥルグックァ ファイティング!” と叫ぶ30代の男性もあった. <それだけが ぼくの人生>の最後の小節が公演場を強打すると, 目がしらを抑える女性ファンも見えた. 大部分が少なからず歳を取ったおとなたちだ. 


直接パンフレットを作って、ビラも配布 

胸の中に大事に保管しておいたスターがひとりくらいはあるだろうか. 最近、オールドファンは胸中に大事に保管しているだけでは満足できない. 直接パンフレットも作って、ビラも配布する. ファンといえば、総じて H.O.Tや god 公演で横断幕を振る10代の学生達をまず思い起こしやすいけれど, 十年から二十年も着実に一スターのために活動するファンたちも多い. 

この日、公演場に姿をあらわしたファンクラブ <ドゥルグックァ>も、一ケ月に一度ずつ定期集会を持つ等、持続的に活動する熱血分子たちだ. 
会社員 ソン・デスン(33)さんは “公演にくるためには、会社の早退をも辞さない”と話す. ファンクラブ会員ですあり、ク・ソンエ氏のマネジャーでもあったパク・ジナ(35)さんは、ドゥルグックァ活動16年間の資料をまとめたが、今年2月にドゥルグックァ トリビュートアルバムを出す時、助けを与えることもした. トリビュートアルバムに入っていた大部分の写真が、パクさんが集めた資料だ. 
ファンクラブの集いの時、自身が仕事をする食堂を場所に提供するというキム・ソンテ(32)さんは、ドゥルグックァの音楽を、“世の中を生きていきながら、困難な時、おまじないのように活力を与える音楽”と話す. 

こういう、歳を取ったファンたちの動きは、熱情的ながらも不断だ. 
10年間、イ・スンチョル氏の音楽を好んできたキム・ミミ(39)さんは、昨年12月、イ・スンチョル氏のコンサート計画が決まると, 職場へ通う時々冷たい風の吹く道でパンフレットを配った. キムさんは、“イ・スンチョルさんや企画社から頼まれたことではありません. 私たち自らしたくてしたのです”と明らかにする. アルバイトを使えば、2〜3枚ずつ一度にばら撒いたりするが、ファンたちが直接配れば、捨てるようなこともなく、きちんと配布できると考えたのである. それらの他にも、サヌリム, ピョン・ジンソプ なども、オールドファンたちの終わりのない愛を受けている. 
イ・スンチョルやピョン・ジンソプのファンクラブは、スキーキャンプや夏キャンプ, 山登にも行く. 最近、こういうキャンプには子供を連れて来る主婦が多いらしい. 

写真/チョー・ヨンピル記念館建設を推進中のファンクラブ '小さな天国' 会員たち.

何十年かずつ着実にファン活動をして、歌手に対する中長期的な後援計画を持っている代表的な例が、チョー・ヨンピル ファンクラブだ. 一部のチョー・ヨンピル ファンクラブは、インターネット博物館, 生家復元, 記念館建設などを現在計画中だ. ファンクラブ <小さな天国>の会長 チェ・チョングン(28)さんは、“記念館建設のために、いままで300万ウォンを集めた”としながら、“金額は少ないけれど、始めることが重要だと考える”と話した. 

チョー・ヨンピル ファンクラブは、特にチョー・ヨンピル氏が30余年の歌手活動をしてきたために、ファンたちの年齢層が広く、規模と組織力が強大であることで有名だ. チェ・チョングンさんは、また、“歳を召したファンは減るわけではない趨勢です. インターネットによって出会ったファンたちが、お互いを訪ねるようになったため”と説明する. 
十何年前、‘オッパ’を追いかけて全国を縫っていた時に出会った顔があるのだが, “また会いましょうよ”と挨拶した人々が歳を取ってインターネットを通じて、お互いを訪ねるようになるということだ. 


歌謡順位番組廃止等、文化運動に出ることも 

写真/ソ・テジ ファンクラブのひとつの 'テジマニア' 会員たち.

8歳の時からチョー・ヨンピル氏を好きだったという ジョン・ウニ(28)さんは、“10代の時、チョー・ヨンピルさんは、熱狂して興奮した気分を感じさせてくれる偶像でした. いまは澄んだ空気を好きなように、その音楽を生活の一部として好きなんです”と話す. こういうファンは、大部分が職場があるために、職場生活で身に付けた技術をファン活動に応用することも少なくない.
 チョー・ヨンピル30周年記念公演時は、ファンクラブで彼のパンフレットを作ったのだが, 資料もファンたちが持っていたため、編集から印刷まで、自主的に解決した. その分野で仕事をしている人々がいたためだ. チョー・ヨンピル ホームページ‘未知の世界’もやはり、コンピュータプログラミングをするファンが自ら作ったという. 

いわゆるオッパ部隊・第1世代の彼らは、色々な面で成熟したファン文化を率いることができる可能性を見せている. 単に公演に行ったりレコードを買うのに終わらないで, 放送社の歌謡番組で多様な世代を配慮するように、意見を伝達する役割もする. 
昨年11月、芸術の殿堂でチョー・ヨンピルコンサートがあった時のことだ. ある放送社でこの公演を火曜日の明け方1時を越えてから放送した. ファンたちはこれに抗議し、放送社ホームページに一日に何百も書き込んだ. “外国では歌手が長く活動をするほど認定してくれるのに、韓国は反対に冷や飯扱いをする. 火曜日の1時を越えて、誰がテレビを見るのか. 大物歌手をこのように冷遇していいのか”という意見だった. 
ジョン・ウニさんは、“昨年‘フォーク ビッグ4’コンサートも、12時過ぎで, 李美子さんの40周年コンサートも、12時を越えてからのテレビ放映でした. 30代以上は寝ないとでもいうのでしょうか?”と反問する. 
今年に入って ハ・チュンハ氏の40周年記念公演があったが、その放映時間は土曜日11時に配分された. あるチョー・ヨンピルファンは、“良い兆しだと思います. あの時、私達が抗議したことがある程度の影響をおよぼしたと考えます”と、満足な笑みを見せた. 

このように、歳を召したファンたちが結集すれば、歌謡番組があまりに10代中心に偏ることを制御する役割も期待することができる. 
来る4月、チョー・ヨンピルファンクラブは、独立したファンクラブを結集する‘ピル21’という組織を発足する予定だ. 公演時、ファンクラブ間でチケットを配分する方法や, 連帯して活動できる方策を相談する機構が必要とされると考えるからだ. 

このように、歌手を支持して後援してくれるファンの集まりが文化運動にまで活動領域をひろめた例が、ソ・テジ ファンクラブだ. 
昨年9月、ソ・テジ カムバックショーでは、“オッパ, 今では私たちも大きくなりましたよ. オッパを守ることができます”と、女性ファンが話す場面がマルチビジョンを通じて放映された.
 この話は、色々な意味をもつ. ファンたち自ら“私達がおとなになってスターを保護する”という観念を持っているという意味だ. ところが、何からテジを守るということなのか. 
‘テジマニア’の キム・ジヨン(31)さんは、このように説明する. “ソ・テジさんが自由な音楽活動をするには難しい制度的制約があります. そのような落伍した歌謡環境を、テジファンたちが変えていくことができるという意味です.” 実際に、ソ・テジファンクラブの一部のメンバーたちは、大衆音楽の現場を変える委員会(大変委)の種になって、歌謡順位番組廃止運動等、歌謡環境を変えるための文化運動にたっている.


写真/'分けあおう 2001' コンサートで 歓呼するファンたち. 山河がうつろっても、オールドファンたちは相変らず公演場を熱する力になる.

1987年3月、ある雑誌に“チョー・ヨンピルに狂った少女1万5700人”というタイトルで、次のような内容が載った. 

“一方的で、非現実的で、幻想的に、ブラウン管のスターにしたがうようになれば、結局その人は非現実的存在として固まってしまいます.” 韓国社会病理研究所長 ペク某博士の文だった. 
彼は‘ただ、その一時のこと’とする既成世代たちの判断も大きな問題だと主張しながら、“何故、それが当事者だけの問題だろうか. 彼らが私達の社会の構成員になった時、どんな行動を見せるのかわかりません”と、声を高めていた. 

しかし、14年がすぎた今, 当時の峻厳な叱責をオールドファンたちは笑いながら読む. 11歳の時からチョー・ヨンピル氏の歌を聞いて好んできたというイ・ジョンミ(29)さんはこのように話す. “歌手が30年間一筋の道を歩くことも難しいけれど、20年間、ひとりの歌手を好きでいることも容易なことではありません. そのように、長い時間好きでいたとすれば、これは決して‘不分別に熱狂する子供’ではありません. 内心では、‘私は何故この歌手を好きなんだろう?’という質問を何回もしたものです. 彼に関する哲学が立っているということですね.” 
その時、憂慮の対象だった彼らは、今、私達の社会の構成員として、正常に会社に通って家庭を設けている. そして、当時、既成世代が‘ほんの一時のこと’と判断したのなら, それもやはり、彼らには適用されなかった. 山河がうつろった今でも、彼らは公演場で紙飛行機を作って飛ばし、紙吹雪をばら撒く. 


イ・ミナ記者 mina@hani.co.kr