[ 文化 ] 2000年10月04日 第328号
‘前後で変わる女性の運命’というテーマを繰り返す最近のTVドラマ…
身分上昇の欲望を代理排泄する
“私は実は、この家の子ではない.
本当のパパは、どこかで私を探しているんだ.”幼い時、両親に厳しく叱られた日などには,
誰でも一度くらいはこう考えたことがあるだろう.
こういう心理を十分利用したドラマが、放送3社で並んで放映中なので目を引く.
韓国放送公社で9月18日に始まったミニシリーズ <秋の童画>(演出
ユン・ソクホ, 脚本 オ・スヨン), 文化放送が9月13日に始めた<秘密>(演出
キム・サヒョン, 脚本 ジョン・ユギョン), ソウル放送のドラマ <ドッキ>(演出
ジャン・ヒョンイル, 脚本 イ・フェウ)が、それだ.
豆ネズミ, 小豆ネズミの葛藤を見る面白さ
(写真/<秘密>で
フェジョン(キム・ハヌル)の運命を盗んだ ジウン(ハ・ジウォン)は、奪ったものを守るために権謀術数を繰り返すほかはない)
これら三ドラマの特徴は、‘前後で変わる運命’を
モチーフとしていることだ.
事実、前後で変わる運命というモチーフは、古来から愛されてきた.
ところが、何故<王子と乞食>は、現代にも有効か? あるいは,
現代なのでより有効なのか? 答えは、そう,だ.
乞食トムは、宮殿内を詳細にながめることなどできなかったが,
現代の庶民たちは、華麗な窓の中をながめることができる.
その窓の名前は、テレビだ. 見ることは、欲望することだ.
ところが、階級間移動は相変らず容易ではない.
東大門市場で働く少女が有名ブランドに勤める売れっ子デザイナーになるということは,
乞食トムがエドワード王子になる程に不可能な夢だ.
欲望は増加するのに、可能性は相変らず不可能として残っている.
したがって‘前後で変わる運命’というモチーフが、現代の庶民たちにとって魅力的にならざるをえないのだ.
<王子と乞食>と、現代韓国のTVドラマが違う点があるならば、運命を盗む者が女だという点だ.
小豆ネズミが豆ネズミの運命を盗むという感じだ.
豆ネズミは元来裕福な実家で良い暮らしをしていたのが、貧しい家で苦労をするようになって,
小豆ネズミは貧しい家で大変な苦労をして暮らしてきたのに、これが自分の場所であるかのように裕福な家で暮らすことになる、というように.
<ドッキ>で クィジン(ジャン・ソンヨン)は、養女を望みの家に送る手紙を偽造し、クィドク(キム・ヒョンジュ)が行かなければならない養女の席を奪って、富裕な家で育つ.
<秘密>も、やはり同じだ.
東大門の衣類商店街で働くフェジョン(キム・ハヌル)とコーディネイター
ジウン(ハ・ジウォン)は、共に貧しい家庭で姉妹として育った.
ところが、有名コレクションを率いている金持ちのマダムが現れて言う.
“私が、あなたの本当の母親よ.”
ところが、本当の娘・フェジョンの生い立ちを偽り、ジウンが娘になりきってしまう.
ジウンは‘秘密’が明るみにならないかと戦々恐々として、フェジョンに辛くあたる.
<秋の童画>の場合は、ちょっと違う. 小豆ネズミ
シンエこそが富裕な実家の娘として育つべきだったのに、病院でウンソと運命が入れ替わって、幼い時期を苦労して送ることになった場合だ.
クッパブ(註:いわゆる"クッパ")屋を営む母親の下であさましい子供に育ったシンエは、王女様のように育った同じ班の友人のウンソを嫌うのだが,
交通事故でウンソの血液型が明らかになり、二人は14歳の年齢で家庭を替える.
時が過ぎて成人したウンソには、二人の男が迫るのだが,
実の兄だと知っていたジュンソ(ソン・スンホン)と財閥2世
カンミン(ウォン・ビン)が彼らだ.
カンミンを愛するシンエにとって、ウンソは目障りだ. <秋の童画>のシンエは、元来、父母を探していくので、自分の運命を正当に探し当てたかのように見えるけれど,
大きな範ちゅうで見た時、シンエも豆ネズミの運命を奪った小豆ネズミに属すると見ることができる.
教授の父と優雅なお母さんの下で幸福に育ったウンソ王女様の運命は、シン・エラという、招かざる客が登場することによって、ちりぢりに潰れる.
ウンソと兄妹の間である兄さんのジュンソがウンソを女性として感じるようになるようにしてぶち壊しておくことも、シンエの役割だ.
いつも同情を受ける‘かわいい女’
このように、小豆ネズミたちがしゃくにさわるのは,
盗んだ運命を豆ネズミたちと男との関係を通じて転覆させる時だ.
豆ネズミの周囲には、豆ネズミがよりどりみどりできる男たちが充分いる.
したがって、簡単に戦況をひっくり返すことができる小豆ネズミたちは、実際には関係のヘゲモニーを持っていない.
彼女たちの幸福は、自分自身で連係したことではなく、富裕な父母あるいは恋人から出てきたことであるためだ.
<秘密>で、ジウンはキム・ジュンホ(ユ・シウォン)とチョ・ヨンミン(キム・ミンジョン)という、二つの餅を両手に握っていたかの様に見える.
にせ物の母親 ユンミョンは、会社の実権を持つ企画室長
チョ・ヨンミンに ジウンと付き合えと奨め,
小さいけれど自分の売り場と工場を持つ裕福な実家のお坊ちゃん
キム・ジュンホは、公式的にはジウンの恋人だ.
けれども、事実は、二人の男はどちらもフェジョンにぞっこんだ.
クィジンの養父は、クィドクに対して温情的だと、クィジンは常に不安に思う.
その上、クィジンには、いつでもクィジンの責任を負うことができるようなソンマン,
ジソク, 王長兄がいる. <秋の童画>
ウンソには、財閥グループの末の息子
テソクとジュンソが控えている.
名分は小豆ネズミが持ったが、実質は豆ネズミが握るわけだ.
したがって、小豆ネズミたちは、自分が手に入れた運命を、いつまた取られるかもしれないという不安感に、それこそ生まれついての小豆ネズミのようであるしかない.
すなわち,
“あなたは私より良い生活をしてはいけない”ということは、小豆ネズミたちの欲張りとみるより、自分の席を守ろうとする基本的本能だ.
(写真/<秋の童画>で、ウンソ(ソン・ヘギョ)は、不幸な運命にもかかわらず、エリートの二人の男の愛を受ける強大な位置に立っている)
これを観ている視聴者たちの公憤は、正義の豆ネズミたちが代弁する.
“あなたが, 悪い! あなたは本当に悪い人!… あなたは本当に悪い!”(<秋の童画>のウンソ)
“私に力がないから耐えるのだと知っていたの?”(<ドッキ>のクィドク).
しかし、小豆ネズミに対する彼女たちの闘争は微小で,
身分を代えてみようという試みは、いつも挫折する.
これに対して、フェミニズムジャーナル フォン・グミ編集長は,
“‘運命を盗んだ女’は、男性たちの見解では、過激な悪漢女として描写される.
彼らドラマに出演する男たちは、あるひとりの女性の肩入れをするようになるのだが,
たいてい‘おとなしい女の子’はつまらない”と話す.
けれども、最近になって‘運命を盗む小豆ネズミ’に対する同情論も高まっているようだ.
“クィジンも被害者といえば、被害者です.”“ちょっと素敵な男性をクィジンの相手役にしてください.”“シンエとテソクを結びつけてください.”
こういう視聴者の意見がインターネットに上がってくるのも、これと同じ脈絡で解析される.
その上、小豆ネズミもやはり、上流社会という慣れない舞台に自身を置いてみたがる視聴者たちのまた違う分身であるために,
視聴者の立場では豆ネズミの運命を正すために、敢えて小豆ネズミを苦労させる必要まではないのだ.
10余年前、これらのドラマの先輩格だった<愛と真実>で、ウォン・ミギョンとチョン・エリも、結局、和解を成し遂げたではないか.
身分上昇の武器は‘王子様’に会うこと?
(写真/<ドッキ>で、クィジンは養女を望みの家に送る手紙を偽造し、クィドクが行くはずだった養女の席を奪って富裕な家で育つ)
ところが、何故、放送3社がひとつのように‘前後で変わる二女性の運命’なのだろうか?
“なぜ、わざわざ‘女’の交錯した運命なのだろうか?”という質問に対して,
<秘密>のキム・サヒョンPDは、“男は女性よりも家庭環境から受ける影響が少ないと考えた”と答える.
すなわち、女は男に比べて、家庭環境によって運命が決定される程度が相対的に大きいということだ.
その上‘女の運命は、作られる運命’というように,
少なくともドラマ上での女性は、結婚が強力な身分上昇の武器である.
仕事を一生懸命にして、良い暮らしをすることや、復讐をする道もあるけれど,
身分を代えてみようという豆ネズミの試みはいつも挫折する.
ドッキは家庭を作ろうとするが、有閑知識人
パク・ヨンギュの前では平伏するドッキ,
服屋を盛りたてようと寝る間もないほど飛び回るフェジョンの努力はジウンの電話一本で水の泡になる.
結局、豆ネズミは男で,
小豆ネズミは権謀術数で運命を切り開くしかないということだ.
運命を盗んだ小豆ネズミと運命を奪われた豆ネズミの中から、王子様が誰を選ぶかというのは、既に決定されたことだった.
小豆ネズミが運命を盗んでみたところで、豆ネズミの運命は前後で変わらない.
イ・ミナ記者mina@hani.co.kr
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