以前の関連記事 ‘プロ奴隷’たちの人間宣言!(ハンギョレ21誌2000年1月294号)
2軍 墜落に続き、チームを離脱した
カン・ビョンギュ, ノーヒットノーランを打ち立てて乗勝長駆する
ソン・ジンウ
(写真/選手協のスター
カン・ビョンギュ. 最近、彼の '逸脱'は、選手協に反対する人たちにとっては、良い武器として作用すると言える)
カン・ビョンギュ(SK)が、最近、チーム離脱騒動を繰り広げた時、膝を打って“ほれみたことか”と、笑った人がいたことは間違いない.
カン・ビョンギュとはだれか.
まさに‘スポークスマン’ではないか.
カン・ビョンギュは、昨年までは斗山の一投手に過ぎなかったが、99年12月以後、肩書きひとつがついた.
韓国プロ野球選手協議会 スポークスマン. プロ野球
球団オーナーをはじめ、フロントは、去年の冬選手協とその主軸選手たちの活動に血眼で神経を尖らせた.
カン・ビョンギュの周辺人物はもちろん、カン・ビョンチョルSK監督さえ、彼の離脱については理解することができないという反応から見れば、カン・ビョンギュは、現在、四面楚歌に置かれていることが明らかだ.
去年の冬、場外で大活躍した選手協スポークスマン
カン・ビョンギュの最近の動向は、プロ野球
選手協に影響を与えるものと見られる.
選手協の選手一名の逸脱と、プロ野球選手協全体の動向とに何の相関関係があるのかと尋ねるかもしれないが、わかりきったことだ.
80年代、学生運動組織が、その勢力と団結力で、対抗勢力として最高潮を成し遂げていた当時、公安当局がいつも是非を論じていたのは、彼らの道徳性だった.
合宿やミーティングに行けば、性的に乱れているなどと、ある事件ない事件をみな作り出したではないか.
カン・ビョンギュの逸脱は、‘選手協無用論’をかざす彼らには、とても良い武器になるということができる.
会長とスポークスマンの'人生流転'
(写真/さる5月18日、光州で開かれたヘッテとの試合で、ツーランホームランを打ったローマイヤーと握手している
ソン・ジンウ)
カン・ビョンギュの事件と正反対側に置かれている‘事故’が、ひとつある.
さる5月、太田球場で起きた事件は、誰も予測できなかった.
選手協会長のハンファ左投手 ソン・ジンウが、デビュー11年ぶりにノーヒットノーランを達成したのだ.
フォアボールやデッドボールで走者を送りだしたことを除外して、ヒットや点数を全く許さない,
投手ならば一度は夢を見る記録. 35歳の選手協会長
ソン・ジンウが、こういう事故を起こすとは、本当に予想もしていなかった.
選手協会長 ソン・ジンウはノーヒットノーラン,
スポークスマンはチーム無断離脱.
去年の冬、全く同じ意味を求めて共にあったこれらふたつの歩みは、熱帯夜が続く最近、正反対にわかれている.
人生流転という言葉は、ここに丁度合う.
彼らふたりの性格は裏腹だ.
当初、選手協が結成された当時、主軸選手はヤン・ジュニョク(LG)だった.
三星の代表打者として活躍し、ヘッテに整理トレードされるくやしさを体験して、ヤン・ジュニョクは、選手たちの権益を保障する組織結成の必要性を痛感した.
それで、各チーム主軸選手たちと共に、約6ケ月間緻密に準備してきたのが、まさにプロ野球選手協だった.
99年12月3日、ソウル汝矣島63ビルディング2階宴会場.
紆余曲折の末に、選手協結成が宣言されるまでマイクを握っていた人は、まさに、カン・ビョンギュであった.
普段活発で、選手たちに場外で人気が高かったカン・ビョンギュ.
すっきりとしたマスクに華麗な言弁は、誰も躊躇することなく彼にスポークスマンの席を渡した.
約一ケ月余の間、どっと駆せ参じて質問攻勢をかける記者を相手する者は、カン・ビョンギュしかなかった.
はじめは、スポークスマンという補職は特になかった.
しかし、いろいろな選手たちの言い分を整理する人が必要であるとして、その役割がまさにカン・ビョンギュに自然に廻っていったのだ.
選手協
初代会長がソン・ジンウに決まったと発表された時、妙に思ったのも当然だった.
普段は寡黙で,
特別に選手たちの権益について、人々に‘こうあるべきだ’などという話をしたこともなく,
組織を率いるだけのカリスマがすごい選手だという評価を受けることもなかったのが、まさにソン・ジンウであった.
斗山の第4, 5先発格だった
カン・ビョンギュは、選手協活動過程で、場外のエースとして乗り出していた.
戦いで一度押されると、回復がたやすくはないということを、運動選手の生理上体得していた彼は、選手協結成を無条件に反対する韓国野球委員会(KBO)と球団の強行論に対し、一層より強硬な姿勢で押し通した.
彼らの心機に触れる発言を,
適切なタイミングで公開し、ともすると弱気を見せる選手があれば、なだめて戦況を整えた.
‘突出性発言だ,
前後を考えない即興的な言葉だ’という非難が多少あったものの、これもまた一瞬にして挽回した.
選手協問題が社会問題として台頭しながら、ある放送社のTV討論プログラム
パネルに招請されると、カン・ビョンギュは沈着して理路整然な態度で、選手協結成の正当性を訴えた.
ユニホーム広告付着拒否で葛藤開始
(写真/さる3月6日、仲裁を要請するためにパク・ジウォン文化観光部長官を訪ねたカン・ビョンギュとソン・ジンウ)
選手協部分認定と制度改善委員会結成という折衷案で事態が一段落ついた後、2000年プロ野球シーズンはスタートした.
その渦中に、SKの部創立が確定すると、斗山は待っていたというかのように‘悩みの種’だと感じていたカン・ビョンギュを保護選手名簿から外した.
SKは当然、チーム内エース級であるカン・ビョンギュを年俸1億ウォンで獲得に行った.
ソン・ジンウは冬の間、選手協活動のために、これといった練習をすることができなかった.
一般的に投手は、多少暑い気候でピッチング練習をして、次のシーズン準備が可能になる.
鋭敏なヒジと肩の筋肉が、寒い所で萎縮したままで練習すると、ほころぶことは言うまでもない.
したがって、ソン・ジンウとカン・ビョンギュの今シーズンを期待する声はなかったと言っても、言い過ぎではない.
カン・ビョンギュの破局は、さる6月から予告されていた.
カン・ビョンギュは“選手と合意しないままユニホームに特定会社ロゴを付けることは不当だ”とし、ユニホーム上下に付着された広告をはがして、コーチングスタッフとフロントを呆然とさせた.
韓国プロ野球の選手契約が誤っているかどうかは知らないが,
球団が指定したユニホームとスパイクなどを着用するのが、現在の野球規約だ.
改正されない規約だとわかっていて、一種のデモを繰り広げたのだろうと分析する者もある
破局は、さる7月上旬に.
既に、コーチングスタッフの登板指示を破った不敬罪で2軍に下っていたカン・ビョンギュがカン・ビョンチョルSK監督を訪ねた.
持っていった病院診断書には、日光性皮膚炎という病名が書かれていた.
皮膚炎を理由に、8週間の練習を中断すると要請したのである.
これに、カン・ビョンチョル監督は“君と話す理由はない.
球団と話しなさい”と言った. カン・ビョンギュは、13日からついに、2軍練習にも現れなかった.
カン・ビョンギュが自身の言葉通り、8週間練習を中断するならば、これは事実上今シーズンを締め切るという意味だ.
ここに、カン・ビョンチョル監督も、カン・ビョンギュを今シーズン戦力から除外した.
カン・ビョンギュは、現在、連絡を断絶した状態だ.
選手協 2ラウンドでは、またどういう姿を?
韓国の年齢(註:数え歳)で36歳のソン・ジンウは、国内先発投手中では、キム・ヨンスの次に年齢が若くない.
昨年11月、プロ野球初の自由契約選手(FA)として、3年間7億ウォンで契約,
その価値を認められたが、選手協活動にともなう練習不足は、彼の活躍を疑わせるのに充分だった.
さらには、30台中盤の年齢だ. しかし、6月18日、光州ヘッテ戦で、ノーヒットノーラン(フォアボールボール3)をおさめる等、最近9勝で、自身の役割以上をやり遂げている.
従来の横に動く変化球(スライダー)の他に、下に落ちるチェンジアップを追加したことが、乗勝長駆の秘訣というが、選手協を率いて覚えた責任感もまた精神武装を新しくした.
事実、ソン・ジンウ程度の年齢に必要とされることは、力と技量というよりは、‘引退推奨’で弱くなる心を奮い立たせる精神力だ.
ソン・ジンウもカン・ビョンギュも韓国プロ野球選手だ.
野球で食べていく彼らには、これは貴重な自慢の種であり、資産に間違いない.
選手協波紋が明るみにでたことが、韓国プロ野球の跳躍と発展過程では必然であることを認めるならば、去年の冬、会長とスポークスマンとで代表された彼らの動向も、その過程の外であると見ることができなくはないだろうか.
ただし, 老衰を予想されたソン・ジンウの、年齢を忘れた怪力も,
冬の間、そのように暴れていたカン・ビョンギュの失望の突出行動も、現在では全て予想外のことだ.
今シーズン終了後に迎える選手協第2ラウンドで、彼らはまたどんな姿を見せてくれるのだろうか.
キム・ソンウォン/ スポーツトゥデイ 記者
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