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ああ,
震撼の韓国軍!
報道
その後‘ベトナムの怨みの霊を記憶しなさい’
ベトナムの熱い感動!
“彼らの憎悪心が癒されたら…”
部下たちがやったことも、私が死なせたと同じ…政府次元の補償なされることを

ベトナムに対照取材をしにいく前後、キム・ギテ氏に何回も会った.
彼は龍眼作戦二日目に起きたプクビン村事件に関しては、被害者の大部分が婦女子と子供だけで、罪責感がつのるという.
プクビン村の取材結果を説明すると、“その村が呼んでいるようだ”としながらも、韓国軍の行った強姦の事実に対しては、“初めて聞いた”という反応を見せた.
そして、最終日の爆弾窪み事件に対しては、“謝罪する気持ちはない”とした.
彼らが明確にベトコンであったという確信のためだ.
と、いえども、政府の補償問題に対しては、容認する態度を見せた.
-
武器も持たないベトナム青年達をどうして爆弾の窪みに並べて殺さなければならなかったのですか.
=
その二日前、彼らを殺すことになる山窟がある方向から、ベトコン軍の攻撃にあっていたのです.
言葉は通じなかったが、当然ベトコンだと思いました.
しかも、皆男ではないですか.
銃は洞窟に隠してあったのでしょう、私達は探し出せなかったのですが….
十分に戦闘兵力化できる人々でした.
彼らを連行している時、山上からベトコンが狙撃をしてもきました.
-
中隊員の中には彼らを生かそうという意見を出した人はなかったのですか.
= 生かすと言っても.
すぐに殺さないことに対して不満があったくらいです.
もちろん、私は、はじめは 生かそうとしました.
ところが、突然、作戦任務が下されたのです.
ベトコンの巣窟なので、監視兵を何名か置いて行くこともできず,
かと言って、救出作戦をしにいくのに連れていくこともできません.
-
韓国軍が村を一気に処理しているので、若い男たちが集団的に避けて身を守っていたのではないかと、仮定することができるのではありませんか.
= えーと…. 婦女子と乳飲み子だけが村に住み,
ベトコンは夜に村に入って、夜が明ける前に山に戻ったりしていました.
それで、進攻作戦ということになりました.
夜が明ける前に村を包囲する….
- 全部がベトコンだとみることはできないのではありませんか.
= えーと…. 捕虜を尋問しなかったからわからないのですが,
恐らく、ベトコンかその同調者たちであったでしょう.
- 青年29人を爆弾の窪みに埋めた後、大隊に報告をしましたか.
= しませんでした.
- 作戦2日目、一部の村で一気に処理をしたというのに,
それも報告をしなかったのですか.
= それもしませんでした.
家が燃えているので、大隊長が何故火事が発生したのかという連絡はきました.
そのまま、わら束が燃えていると報告しました.
- 作戦の様相がとても激しかったようですね.
= ベトナム戦はゲリラ戦です.
その村の人々は、ベトナム政府の統治地域から出たところに居たのです….
龍眼作戦は、完全に敵地で遂行されたのです.
ベトコンとベトコン軍をせん滅しにいった作戦です.
- それでも….
= 堪忍袋が破れて、始末しに行ったのです.
敵の統治地域では、ベトコンでもベトコンでなくても、識別しません.
あらゆるベトナム作戦の様相が、みなそうですよ.
私達が負傷したら、無条件に撃ちまくるということです….
- 純粋な良民も多かったのでは.
= そうかもしれません. 6・25(註:朝鮮戦争勃発)の時も、お金がなくて、そのまま地下に残るほかない人々があったということですから.
-
作戦が終わった後、“やり過ぎだった”という話が出てこなかったのですか.
= 回顧する余裕がありませんでした.
私たち、隊員一名一名が犠牲になってはならないという信念しかなかったのです.
-
将校が“殺すな”と言っても、中隊員が後で殺した場合もあったそうですが.
命令不服従ではないですか
= 作戦をしている最中に… ベトコンを 追っているのに….
もちろん、その前には制止できる.
しかし、後からは制止できないですよ.
やけくそになっているのに….
大部分は将校たちが見ることができないなかで起きるのです.
将校たちが監督をいい加減にしたというよりは、広く散開して作戦している最中に起きるので、引き止めることができないのです.
また、あっという間に起きる事ですから.
- 村に入ったら、一般的に人々を集めるのですか.
= そうです. ベトコン容疑者と分離しなければならないのです.
それ以外に捜索する方法がありません.
ベトコンが突然現れて、手投げ弾を投げて逃げたこともありました.
住民を集めて、‘韓国軍に対して被害を与えれば、家族が全員死ぬ’という認識を植え付けました.
- ベトコン容疑者だと思われる人々をどのように扱ったのですか.
= 一部はそのまま置いて、若い人々は連行します.
若者はベトコンだと考えて.
そして、幸い作戦が早く終われば、捕虜として後送します.
しかし、作戦が早く終わらず、我が軍が被害を受けたら、自分の命を守りきれずに死ぬのだと見るべきです.
- 韓国軍に殺された人々の大部分が子供たちと女性, 老人です.
= 若い人々は逃げて隠れたのでしょう.
殺すはずがないと考えて村にいた子供たちと婦女子,
老弱者たちが、むしろ被害をたくさんこうむりました.
-
集めた人々を引っ張っていき、部下が殺す時にどんな気がしましたか.
=
中隊長の立場では、その中に生きている者がいる場合もあるので、確認射殺をしろと言います.
私が行って確認しない限り、どのようになったのかはわかりません.
当時は、良民を殺したと感じる条件はなかったのです.
今になって考えれば、良民虐殺だという主張に対しては、そのようなことはありうるだろうと感じているのですが.
- 韓国軍が耳を切り、鼻を切ったという話があります.
= 実際にそのようなことがありました.
中隊員の中の一名で、死んだ者の目玉を取ってアルコール漬けにした兵士がありました.
また、一名は、片方の耳だけを切って集めて針金に通して、幕舎前に掛けたりもしていました.
‘何故そんなことをするのか’と聞いたところ,
帰国する時に記念に持っていくと言いました.
-
他の民族であるためにひどいことをしたと言うこともできるのでは.
= そうですね. 意志疎通もできず、それで識別もできない.
良民なのかベトコンなのか.
それで、多くのベトナム人が被害を受けました.
はなはだしきは、ベトナム軍将校2人が龍眼作戦初日、私たちに殺されました.
交戦が始まると、ベトナム軍の服装をした2人が飛び出してきて、向こう側に行こうとしました.
何が何だかわからないまま、反対側に引きずっていき、殺してしまいました.
すこし経ってから、ベトナム軍の大尉がトラックに軍人を載せてきて、今、交戦している相手はベトナム正規軍だと言ったのです.
- 作戦に行く時、通訳官を連れて行かなかったのですか.
= 一般的に、通訳官を連れて行くことを嫌いました.
通訳官が作戦計画を敵に対して報せることもあったのです.
また、村を一気に処理したり、集めた人々を殺すのを見て、ベトナム軍と政府側に報告すれば、頭が痛いので….
通訳官がいないせいで、ベトナム軍将校が2人も死んだのです.
- 戦争が終わった、今になって、罪責感を感じるのですか.
= そうです. 私は殺人教唆者であり、殺人執行官でした.
あまりにも多くの人を殺しました.
たとえ、部下たちが殺しても、私が殺して同じことです.
顧みれば、罪人だという気がします.
- またベトナム戦がおきたならば.
= 参戦反対を叫びます.
- 昨年、政府は東ティモールに平和維持軍を派遣しました.
= 国連が要求したので,
政治的に拒むことができなかったのでしょう.
私が政策担当者だったら、東ティモール派兵には反対していました.
平和維持軍ではあっても、反乱軍が対すればまた戦わなければならないのではないでしょうか.
そうして、彼我間にまたなんの罪もない人々がケガをするようになります.
- <ハンギョレ21>で、被害者を助ける寄付募金をしていて,
市民団体も真相糾明にたっています.
= 良いことです. ぜひ、しなければならない.
被害者たちや遺族たちは憎悪心を持っているでしょうが、歳月が流れれば、その人々も赦して理解するはずです.
私たちも戦争だったから、そのようなことがあり,
今、顧みればあまりにも誤っていたことだと謝罪して、許しを乞わなければなりません.
それとともに後援して支援すれば, とても良いことです.
- 韓国政府が補償することに関しては、どのように考えますか.
= 賛成します. 彼らが経済的に良いのならば,
敗者が勝者に補償する必要がなぜあるでしょうか.
しかし、彼らは勝者でしたが、今、経済的にはるかに劣っています.
補償をすることが、相互国民間に友誼を篤実にする道だと思います.
その時、そこで作戦を行った多くの軍人たちも村に行って許しを乞って、支援をすれば良いですね.
それで、彼らの憎悪心が100分の1でも少なくなってくれたらうれしいのです.
-
ベトナムは過去を問わないといいながらも、調査は全部してありました.
= 過去のベトナム政府がそのままあっても,
あるいはベトナムが統一をしても、そのような調査はなされたはずです.
当時、米軍が飛行場を使用しても、戦闘機一機が飛び立って降りるごとに使用料を受け取る国でした.
ベトナムの人々は、たとえ、暮らしが貧しくても、民族性が強固で自尊心も強いのです.
コ・ギョンテ 記者
k21@hani.co.kr
ファン・サルチョル 記者
rosebud@hani.co.kr
ハンギョレ21 2000年 04月 27日 第305号 .
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