一進一退… 枠組は破ることができない
(写真/<日が昇って
月が浮かぶ>)
世の中には変わらないものがある.
その中でも代表的なのは、私達の社会が息子の嫁に望む役割だ.
定形化した息子の嫁像を無限複製するテレビドラマで、これを確認することができる.
最近になって特集ものや短編ドラマの中で、破格的で主体的な女性像が時折登場していることはある.
しかし、相変らず、連続ドラマや週末連続ドラマは、伝統的な嫁あるいは未熟な嫁の間を一進一退するのに終始している.
伝統的嫁像を固守するドラマと、これに顔を背ける視聴者を狙う製作陣が出した解決法は、まったく異なる嫁のありかたを主張する方法.
こういう混乱を最もよく見せるのが、最近放映中の韓国放送公社(註:KBS)連続ドラマ<日が昇って
月が浮かぶ>だ. 率直に自分の意思を表現するユンジ(ヨム・ジョンア)とおっとりしているヨンジュ(ユ・ホジョン)を相対した、このドラマは、ちゃっかり者といえる二番目の嫁よりは、落ち着いて我慢強くて従順な長男の嫁に結局は手をあげる.
そして‘やはり,
長男の嫁はこうあるべき’という公式を今一度入力させる.
‘従順型’ <田園日記>の‘ヨンナム
エミ’
(写真/<田園日記>) 
放送ドラマが見せる嫁の類型は、大きく4つに分けることができる.
伝統的嫁像である‘従順型’, 自身が
ケガをしない程度に家族構成員間の葛藤を解決する‘質実型’,
対策はないが可愛い‘天真爛漫型’,
そして、家族関係である種の変化を試みる‘改革型’がまさにそれだ.
韓国で‘上の子’の意味は、そのまま順序として最初であることを意味するものではない.
父母に仕えて先祖の祭事を敬わなければならない義務がある分、父母からさえ気楽に対されない相手でもある.
事あらば、家長として大きく変革しなければならないために、知らず知らずのうちに権威と重さが与えられたりする.
しかし、これは長男にいえる話だ.
彼の妻の‘長男の嫁’の場合には‘従順’と‘犠牲’という暗黙的強要が付いて回るようになっている.
そのような長男の嫁の典型を、ドラマでは最長寿プログラムであるMBC<田園日記>で見ることができる.
‘ヨンナム エミ’と呼ばれる長男の嫁(コ・ドゥシム)は、忍耐心が強いことはもちろんで,
賢くて、つつしみ敬うことを知っていて, 完璧である.
また、分別のつかない家族をよくリードして、家内和睦の中枢的役割をする.
何ひとつ足りないことがない.
姑も誰も持て余す大おばあさんにまでやすやすと仕える.
このドラマを見ながら、多くの舅姑たちが“私たちの嫁がヨンナム
ママの半分だけでも似てくれれば”というのは言い過ぎでないようだ.
この‘ヨンナム ママ’は、姑のキム会長の妻(キム・ヘジャ)の複製なのだ.
いや、高い‘知的水準’まで兼備してあるから‘改正増補版’というに値する.
長男の嫁の代名詞と呼ばれるようになった‘ヨンナム
エミ’は数多くの姉妹を誕生させた. 96年に放映されたKBS連続ドラマ
<風は吹いても>の長男の嫁(パク・ソンミ)は舅姑,
大おばあさんだけでなく、小姑の家族まで応対する孝婦であり,
その後に続いて98年に人気のうちに放映されたKBS連続ドラマ <情ゆえに>の長男の嫁(キム・ヘスク)も、やはり2名の姑に仕えて暮らし,
その上、子供まで押し付けようとするこずるい下の嫁と、いざこざが多いが、多くの小じゅうとも世話する‘愛と度量’の化身として描写された.
同じ年、後続作で放映された<私の愛 私の傍に>の長男の嫁(ソンウ・ウンスク)も同じだ.
人が良くて、たくさん世話になった‘未亡人になった嫁’が再婚でもしないかと不安がる姑に“お母さん、心配しないでください.
私は、お母さんのそばを離れません.
他に主人の代わりをすることができる人はこの世にいないですよ”と、安心させて、姑に涙を流させる感動的な‘孝婦’だ.
婚家では抜け目なくふるまわないながらも、家族内の葛藤を自身がケガをしない範囲で解決する‘質実型’嫁は、過去に人気のうちにに放映されたMBC週末ドラマ
<あなた そして 私> <バラともやし>, 連続ドラマ<見て
また 見て>で見ることができた. <あなた そして 私>のスギョン(チェ・ジンシル),
<バラともやし>の ミナ(チェ・ジンシル), <見て また 見て>の
ウンジュ(キム・ジス)は、婚家に入って暮らすことを、当然のようにそれで家計にとって経済的にも助けにする.
かと言って、家事を粗雑にしたこともない. 舅姑 奉養? 基本だ.
性格も良くて、愛きょう満点だ.
彼女たちの共通点は、高い水準の教育を受けたり、実家という背景が強固だという点,
また、自身の仕事に対する熱情と、夫と自身がなす家庭に対する欲が大きくて,
嫁としての義務に対する一方的な強要を相対的にあまり受けない境遇でもある.
‘質実型’<バラともやし>のミナ
(写真/<バラともやし>)
こういう場合、嫁は(<バラともやし>のミナは、上から二つ目だが、長男の嫁の役割をする)その肩書に似合うような家庭の柱になって、あらゆる問題をきっちりと解決する‘スーパーウーマン’だ.
普通の主婦たちや、職場生活をして常時婚家に遠慮する不便な気持ちを持って暮らす女性たちから見たら、うらやましいキャラクターだ.
これとは違い、最近登場し始めた‘新世代’の嫁たちは、家事に対する‘無知’をいっそのこと武器として前面に押し出して、婚家の人たちとの関係を解決する.
教師と弟子の結合という、破格的素材で話題になった、MBC週末ドラマ<愛している、貴方を>の末っ子の嫁
ボン・ソンファ(チェリム)は “ちぇっ, それでも嫁か?”という声が出てくる程に嫁としての‘本分’を忘却したお転婆.
外祖母に姑の間食を作らせたかと思えば,
実家の母親を動員して、婚家の夕食準備をする等、予測不可能の行動で姑を全然身動きができなくした.
また、非現実的な構成や無理な話の展開だと指摘を受けている、ソウル放送月火ドラマ<味を見せます>のミナム(カン・ソンヨン)もやはり、スルグク(註:どぶろくのように見えるスープのことか)を作れと言われて、本物の酒でスープを煮る等、あきれる行動で姑を真っ青にさせる一方,
文句を言う姑に“お母さん,
申し訳ないけれど、私がやっちゃいました.
次には、もう一度言ってくれればなんとかなるでしょう”と話す等、自由奔放な姿を見せいる.
同じ放送社 週末ドラマ<波>のヨンミ, <見て また 見て>の
クムジュ(ユン・ヘヨン)が見せた姿も大きくは違わない.
彼女たちの登場は、ある程度現実を反映したものである.
‘世代差’だと言っても、慎ましいお母さんの世代と若い世代の乖離の中で、姑はこらしめるべきか、笑わなければならないのか、筋道を握ることができない.
嫁は、嫁としての確実な役割モデルを
探し出すことができずにいる.
場面と状況による考えもなく軽率に振舞ったが、時には恐ろしい程に思慮深い姿を見せて、目を丸くさせる.
非常にまれだが、考え方が異なる姑との関係で、服従することよりは妥協と説得,
あるいは正面対決で問題を解決して行くキャラクターも最近登場した.
MBC月火ドラマ <最後の戦争>の長男の嫁 ジス(シム・ヘジン)は優秀な弁護士だが,
司法試験にパスできないテギョン(カン・ナムギル)と誰が見ても‘心配な’結婚をした.
息子より収入もよく、家柄と能力も良い嫁が負担になることもあるけれど,
それでも嫁は嫁.
姑は息子と孫娘を人質に取って、嫁にしばらくの間でも来て暮らしなさいと慰撫する作戦を繰広げる.
嫁もまた甘い相手ではなく、はじめのうちは従順にしているが、あげくの果てに酒に酔った振りをして言いたいことを全てぶちまける.
‘改革型’ <最後の戦争>の ジス
(写真/<最後の戦争>) 
これで全部ではない.
舅が姑に暴力を加えようとすると、舅に法の条項を突きつけて‘警告’したりもする.
しかし、ジスは根本的に家父長的イデオロギーで始まる問題を解決することを終わりまで押し進めることができずに,‘愛’という浪漫的な口実で不明瞭に妥協してしまう.
もうひとつ.
ジスは、誰が何と言っても立派な職業の‘優秀な女性’だ.
このような4つの嫁像は、お互い別々に見えるけれど、実は共通点がある.
他の方式で適応するというだけで,
婚家の系譜と家父長的枠組から絶対に抜け出さないという点だ.
どちらかといえば、そのため、大衆的な愛を受けることができたのかもしれない.
各々、他の個性を持った人々が会い、作り上げる家庭に、何故このように極端で制限的な嫁だけが登場するのだろうか.
わたしたちは、いつまで嫁ひとりの‘犠牲’や、嫁ひとりの‘悪役’で、家庭の平和が思うままにになるドラマを見ることになるのだろうか.
全家族構成員が、お互いを配慮して責任を負う家族ドラマは、いつになれば見ることができるだろうか.
チェ・イ・プジャ/ 女性新聞 記者・21世紀 女性メディア
媒体批評チーム
ハンギョレ21 2000年 02月 17日 第295号 .
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