(写真/何もキャンペーンを繰り広げたりしないのに、日本人の秩序意識は韓国と違う. 他者に対する日常的配慮のためだ)
以前、東京の盛り場である新宿の四つ角で、信号を見て渡りだしたが、自転車に乗った子供が横目で見ながら走ってきて、渡っていた人々がはっと驚いて急いでよけた. その時、その子供の後ろから“前を見て行け”と叫ぶ父親の韓国語の声が聞こえた.
東京の地下鉄やデパート等、あちらこちらに設置されているエスカレーターに乗る時は、人々は必ず左に並ぶ. 右側は急ぐ人々のために空けておく. 時々、右側の空いた場所にいる人のために、急いでいる人々がエスカレーター上で道を急いでいる途中で、その人の後ろでずっと1列に立ち並ぶ. ところが、誰一人道をふさいでいる人に嫌味ひとつ言うわけでもなく、黙黙とそのまま待つ. たまたまその人が後ろを見て、気がついて急いで避ければ、それで上がる. その人が知らなければ、一番上へ上がる時まで、その状態で行く場合が大部分だ. 体験上、道をふさいでいる人々は韓国人の訪問者である可能性がかなり高い.
となりの日本に行っただけで、韓国の人々がどのくらい自己中心的な生活に浸っていて、他者のことに気を使おうとしないかを、すぐ比較してしまう.
東京の住宅街には、多くの猫がうろついている. 住民たちが食べさせて、糞も掃除する. こういう平和に慣れ親しんだ猫たちは、人々が近づいても全く神経を使わないでいる. 山で生きているたぬきたちが時折町に出てきて、住民たちが置いておく食べ物を食べていくという地域も多い. それでも、住宅街の裏路地は清潔なことこのうえない. 吸ったタバコの吸殻を捨てるようにも捨てられない程だ. ポケットの中に収めるほかない.
東京の大多数の歩道は、自転車を乗ることができるように手入れされている. 自転車を乗っていけば、たびたび歩行者を不便にする場合があるはずなのに、そのような時は、ほとんど例外なく迷惑をかけられた側が“すまない”と話すことによって、乗っていた側はより一層謝る. 自動車と自転車が交錯するようになる場合は、大部分、自動車側が停めて、自転車をまず送る.
何もキャンペーンを繰り広げたりしてはいないのに、なぜ、韓国とこのように違うのか、頻繁に考えるようになった. 人だけでなく、動植物等、あらゆる他者に対する庶民たちの日常的な理解と配慮, その差ではないのか. 日常生活での他者に対する配慮なしでは、‘待望の21世紀’というのも、空念仏に過ぎないだろうという強い予感がする.
東京=ハン・スンドン特派員
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ハンギョレ21 2000年 01月 06日 第290号 .
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